徳川夢声が見た原節子
編集者Fです。
今年の11月26日、女優の原節子さんの訃報が伝えられました。ご冥福をお祈りします。
原さんについて個人的な思い出を述べますと、かつて、『時代を喰った顔』(写真・文=井上和博/在庫切れ)という本を編集した際、巻頭に、引退後、鎌倉のお宅に暮らしていた頃の原さんの写真を掲載しました。
ご存じのとおり、原さんは昭和42年公開の東宝映画『忠臣蔵』(稲垣浩監督)を最期にスクリーンを引退され、その後、世間に出ることはありませんでした。著者の井上カメラマンはかつて、写真雑誌に引退した原さんのスクープ写真を掲載して話題になったのですが、その一枚を掲載したわけです。
ところで、中公文庫プレミアムとして8月に刊行した『夢声戦中日記』に、こんな一節があります。
原節子の顔をしみじみと見る。これが目下東宝随一の申分のない美人という定評であり、私もそれを認めるものであるが、なんと少しの魅力もないのは妙だ。誠にととのった顔、目つき鼻つき口元などいずれも結構だが、ただそれだけである。それに日本人の顔でないのが強味でもあり弱味でもある。マシュマロという御菓子を連想させられる。こっちが老人なので、彼女も魅力を発散させないのかとも思うが、本当の美人なら枯木のような男でも、何かしらそそられるものがなければならない。
そういえば映画評論家の佐藤忠男さんも、海外の映画評論家から「オヅ(小津安二郎)の映画はあんなにすばらしいのに、なぜあんな美人でない女優を使うのか」と問われた事があると書いてらっしゃいました(今、手元に本が見つからないので記憶で書いています)。
おそらく、夢声のいうところの「日本人の顔でないのが強味でもあり弱味でもある」というのが正鵠を射ていると思います。原さんはデビュー当時、ロシア人の血が入っているのではないかという噂があったと聞いたことがありますが、確かに日本人離れした容姿は、当時の映画界において、ある種、特異な存在であったと思います。
デビュー間もない16歳の時に出演した映画『河内山宗俊』(1936年)では、不良仲間に身を置く弟がやらかした不始末のため、自ら実を売る決意をするけなげな姉を演じています。
この自己犠牲の設定だけならば、当時の日本映画では珍しくないキャラクターだと思いますが、このシーンの山中貞雄監督の演出がすばらしい。最後の雪の降らせ方を含め、日本の浪花節の世界ではなく、キリスト教世界における「聖女」の「殉教」のような雰囲気なんですね。
あるいは、黒澤明監督がドストエフスキーの小説を日本に置き換えた『白痴』の那須妙子(ナスターシャ)を挙げればいいかもしれません。『新約聖書』に登場するキリスト(ムイシュキン公爵)とマグダラのマリアとの関係を連想させる高級娼婦の役は、ほんとうにはまり役でした。
黒澤明 白痴 Akira Kurosawa The Idiot - YouTube
さらに、小津安二郎監督の『東京物語』(1954年)では、上京してきた老夫婦(笠智衆、東山千栄子)を、実の子供たちが邪険に扱うのに対して、親切につくす義理の娘・紀子役を演じています。
この映画で、個人的に印象的だったのは、お父さんたちの面倒みてくれないかな、と頼まれた原さん演じる紀子が、勤め先の会社の上司に、大変申し訳ありませんが明日お休みをいただいてもよろしいでしょうか、と丁寧な口調でたずねると、上司が間髪いれず「ああ、いいよ」と答える場面です。
そう言われた時、紀子は一瞬、凍り付いたような表情になります。彼女は戦争未亡人で、亡くなった夫との間に子供がなく、ひとりアパートで寂しく暮らしている。会社勤めをしているけれど、別にいなくても、会社は困らない、そんな存在でしかない。両親を邪険にする杉村春子さん演じる長男の嫁が、美容院を経営していて社会や家庭で一定の役割を懸命に果たしているのと好対照です。
自分は誰からも必要とされていないのではないか。そういう、今日ではややありふれていると言えなくもない「虚無」を表現できるスター女優は、原さんの他にいなかったかもしれません。
「日本人の顔でない」という原さんの最大の個性を通じて、昭和10~20年代の巨匠たちは、他の女優さんでは表現できない何か(おそらく西洋的近代)を懸命に描こうとしていたのだと思います。
彼女が演じた役 原節子の戦後主演作を見て考える (中公文庫)
- 作者: 片岡義男
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