描かれたベルリン、その後…谷口吉郎『雪あかり日記/せせらぎ日記』
ヒトラーの指揮の下、第三帝国へと都市計画の進むベルリン。若き日の谷口吉郎氏は日本大使館の改築監督のため赴任してきました。大規模な反ユダヤ暴動がドイツ各地で起きたいわゆる水晶の夜にベルリンに到着、独ソ不可侵条約締結の四日後に陸路ノルウェーへ出国、日本へ向かう船で英仏の対独宣戦布告の報を聞くまでが描かれた二冊を合本しました。
現在ベルリンのウンター・デン・リンデン街に建っている「無名戦士の廟」と呼ばれている建築は、以前、「新衛兵所」といわれていた。シンケルがそれを設計した当時(一八一八年)は、新しい建築だったので、それを「新衛兵所」と呼んで、王宮中にある古い衛兵所と区別されていた。その建築のスタイルは、シンケルの初期の名作として、また、彼の古典主義的意匠を決定的にしたものとして、よく人に知られている。
と描かれた「無名戦士の廟」は現在、ふたたび、ノイエ・ヴァッヘ(Neue Wache「新衛兵所」)と呼ばれるようになり、1993年、ドイツ再統一を記念して11月第三日曜日を「国民哀悼の日」と定めた際に、「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」(Neue Wache als zentrale Gedenkstätte der Bundesrepublik Deutschland für die Opfer des Krieges und der Gewaltherrschaft)として、「ドイツの英雄」のためではなく、ユダヤ人などナチスによって殺害された人たちも含む追悼施設となっています。
頭の上から、室内に射しこんでくる光線というものは、人の心に落ちつきを与え、静寂な感銘を与える。日本の茶室建築に用いられている「つきあげ窓」も、狭い室内に静かな広がりを感じさせ、ことに日本紙を透したやわらかい光は、一層、狭い室内にいる人の心に、静かな落ちつきと親しさを与える。
更に、教会堂のような大きな室内で、高い天井から射しこんでくる日光を、人が見上げる時には、人の心は敬虔な印象を受ける。投射される光線が自分の心の奥まで射しこんでくるような、宗教的印象をおぼえる。
と称された天窓(p.195)
の下に、現在は彫刻家ケーテ・コルヴィッツの「ピエタ(死んだ息子を抱き抱える母親)』の拡大レプリカが置かれています。
欧州でいろいろな建築が破壊されたことを思うと、私の旅行中の思い出がありありと、目の奥や心の底によみがえってくる。私の記憶には消滅した建築の形や、その色、その周囲の景色までが鮮明になる。そんなことを考えると、私の欧州滞在は実に貴重な時だった。過去の多くの建築や美術が、まさに消えうせんとする、その燃焼の寸前であった。
との本人の思いが胸に迫るように思えませんか?
だが、ベルリンの冬は、晴れた日の続く東京の冬と違って、毎日毎日、暗い天気ばかりが続く。全く鉛色の、どんより曇った日ばかりである。朝は八時近くになっても、まだ暗く、午後は三時にもなれば、もうあたりは暗い。この暗い天候によって、あのいかにもドイツらしい文化がうみだされたのであろう。
というベルリンの冬に思いを馳せる心の旅をしてみてはいかがでしょうか。
今回のカット再録にあたり、ご子息の谷口吉生氏より、原画をお借りすることができました。さっと描かれたようなペンの線や、指で触れたあとまで伝わってくるやわらかな鉛筆のタッチも復元できたのではないかと思っています。最初は、親本からの複写を考えていたのが、「原画、見つかりました」との連絡を受けて、お借りしにあがりました。たしかあるはずだと苦労して探しましたと笑顔でおっしゃられ、感激しました。