中公文庫プレミアム 編集部だより

永遠に読み継がれるべき名著を、新たな装いと詳しい解説つきで! 「中公文庫プレミアム」を中心に様々な情報を発信していきます!

中公文庫プレミアム 既刊一覧

●日本近現代史関連

入江相政城の中』  角本良平新幹線開発物語

住本利男『占領秘録』 斎藤隆夫回顧七十年

ジョン・ダワー『吉田茂とその時代』(上下)  吉田茂回想十年』(上

北一輝日本改造法案大綱』 岡田啓介岡田啓介回顧録』 

加藤高明滞英偶感』 幣原喜重郎外交五十年

読売新聞戦後史班『昭和戦後史 「再軍備」の軌跡

八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』 吉田茂大磯随想・世界と日本

松本重治『上海時代』(上下) 北川四郎『ノモンハン 元満州国外交官の証言

近衛文麿最後の御前会議・戦後欧米見聞録 近衛文麿手記集成

袖井林二郎マッカーサーの二千日』 石射猪太郎『外交官の一生

古島一雄『一老政治家の回想』 安倍源基『昭和動乱の真相

磯部浅一獄中手記大川周明復興亜細亜の諸問題・新亜細亜小論

木下道雄/高橋紘・編『側近日誌 侍従次長が見た終戦直後の天皇

能村次郎『慟哭の海 戦艦大和死闘の記録』 冨永謙吾『大本営発表の真相史 元報道部員の証言

 

●世界近現代史関連

高村暢児編『ケネディ演説集』  ロバート・ケネディ『13日間 キューバ危機回顧録』

T・E・ロレンス砂漠の反乱』 マッカーサーマッカーサー大戦回顧録

毛沢東『抗日遊撃戦争論』   ヴォー・グエン・ザップ『人民の戦争・人民の軍隊』

 コーデル・ハルハル回顧録

 

●文学・人文関連

柳宗悦『蒐集物語』  

宇野千代『私の文学的回想記』  近藤富枝『馬込文学地図』

林芙美子『戦線』  獅子文六『海軍随筆』

河野友美『食味往来 食べものの道』 福田恆存私の英国史

足立巻一やちまた』(上下)

あらえびす『名曲決定盤(上)器楽・室内楽篇

あらえびす『名曲決定盤(下)声楽・管弦楽篇 

徳川夢声夢声戦中日記谷口吉郎雪あかり日記/せせらぎ日記

宮崎市定水滸伝 虚構のなかの史実

 

●日本史関連

松岡英夫安政の大獄』 松本清張古代史疑 増補新版』 

 

 

 

 

 

中公文庫プレミアム 太平洋戦争の「失敗の本質」に迫る2冊の新刊

編集者Fです。

 

この春、中公文庫プレミアムで刊行された2冊の新刊について、ご案内します。

 

能村次郎『慟哭の海 戦艦大和死闘の記録(4月25日刊)

戦艦大和の副長として、昭和19年のレイテ沖海戦、そして20年の「天一号作戦」に参加した能村元海軍大佐の体験記録。半世紀ぶりの復刊です。

世界最高水準の技術を誇りながら、二度実戦に参加しただけで、航空機によって撃沈され、ピラミッドや万里の長城と並ぶ「世界三大無用の長物」として戦後貶められてしまった「大和」。

三千余の乗組員は、どのような気持ちで片道だけの燃料を積んだ(諸説あり)水上特攻に向かっていったのか。あますことなく綴った貴重な記録。解説は呉市海事歴史科学館大和ミュージアム)長の軍事史家・戸高一成さんです。

 

慟哭の海 - 戦艦大和死闘の記録 (中公文庫 の)

慟哭の海 - 戦艦大和死闘の記録 (中公文庫 の)

 

 

 

冨永謙吾『大本営発表の真相史 元報道部員の証言(5月25日刊)

こちらは、大本営軍事報道部員として、昭和15年から19年まで軍事報道に携わった元海軍中佐の手記。47年ぶりの復刊です。

今なお、「虚報の代名詞」として「非難と嘲笑」を受け続ける大本営発表。なぜ日本軍部は「フェイク・ニュース」を流すようになったのか、その舞台裏を、戦後蒐集した豊富な史料を用い、太平洋戦争における米軍の公式発表と比較しながら、探っていきます。

解説は『たのしいプロパガンダ』『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』等の著書で知られる辻田真佐憲さんです。

 

大本営発表の真相史 - 元報道部員の証言 (中公文庫 と 31-1)

大本営発表の真相史 - 元報道部員の証言 (中公文庫 と 31-1)

 

 

中公文庫プレミアム、復活!

編集者Fです

 

4月25日刊、大川周明復興亜細亜の諸問題・新亜細亜小論』以来、お休みしておりました中公文庫プレミアムがこの2月より復活いたしました。

 

2月25日と3月25日に以下の3冊が発売されております。

 

【2月25日刊】

松本清張古代史疑 増補新版

今年で没後25年。数々の名作ミステリーのみならず、昭和近代史、そして古代史においても衝撃的な数々の著作を残した松本清張。本書は、邪馬台国をめぐる論争点を詳述し、独創的推理によって大胆な仮説を提示した清張古代史の記念碑的著作です。当時随一の研究者との貴重なシンポジウムを初収録しました!

 

木下道雄/高橋紘・編『側近日誌 侍従次長が見た終戦直後の天皇

皇太子時代の天皇に仕えた著者は、終戦二ヶ月後、占領という未曾有の事態にあって日本の針路が定まらぬさなか、く天皇の側近くに再び侍従次長として仕える事になった。その木下が遺した貴重な日記からは、遷都、退位など揺れ動く天皇の心理と、国や皇室の将来をかけた決断、そして行動が生々しく綴られています。

 

 

【3月25日刊】

宮崎市定水滸伝 虚構のなかの史実

中国の史書に散見する宋江と38人の仲間たちの反乱は、いかにして108人の英雄・豪傑が大活躍する痛快無比な大河ロマンに成長したのか? 中国史研究の泰斗である著者が、史実と虚構とのさなかにあるものをつぶさに検証し、中国民衆の「心」に迫った古典的名著です。

 

今後も、中公文庫プレミアムは続々と、読み継がれるべき名作を復刊していく予定です。ご期待ください! 

 

古代史疑 - 増補新版 (中公文庫)

古代史疑 - 増補新版 (中公文庫)

 

 

側近日誌 - 侍従次長が見た終戦直後の天皇 (中公文庫)

側近日誌 - 侍従次長が見た終戦直後の天皇 (中公文庫)

 

  

水滸伝 - 虚構のなかの史実 (中公文庫)

水滸伝 - 虚構のなかの史実 (中公文庫)

 

 

 

4月刊中公文庫プレミアム発売開始

編集者Fです

 

4月25日刊中公文庫プレミアムが発売開始。今回は、以下の1冊です。 

 

大川周明復興亜細亜の諸問題・新亜細亜小論

チベット、アフガン、ペルシャイラク中央アジア第一次世界大戦後、白人支配の桎梏から抜け出そうともがく(21世紀の現代も紛争の火種のくすぶる)地域の情勢を鋭く分析した「復興亜細亜の諸問題」。日米開戦前後にわたって綴った論考を収め、アジアの連隊への希望と苛立ちを述べた「新亜細亜小論」。「東亜の論客」と呼ばれた知性の、思想の軌跡を知ることのできる一冊。解説は大塚健洋先生です。 

 

是非、ご一読を! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2・26事件から80年(後編)/磯部浅一『獄中手記』

前編に引き続き、今年で80年になる2・26事件に寄せ、中公文庫プレミアムの最新刊『獄中手記』の著者であり、2・26事件の指導的立場にあった磯部浅一について。今回は彼のプライベートな側面をご紹介したいと思います(以下、敬称略)。

 

その前に、例によって趣味の映画うんちくをご容赦ください(後でつながりますので)。

 

これまで2・26事件は何度か映像化されています。恐らく一番古い例は、1954年公開の『叛乱』(新東宝佐分利信監督)。立野信之の小説の映画化で、その後の2・26事件映画の基本フォーマットを作った原点だと思います。

 

2・26事件の「首謀者」は、さまざまな考え方があると思いますが、年齢順でいえば最年長の野中四郎大尉(蹶起当時32歳)。蹶起将校たちが掲げた「蹶起趣意書」は、野中の名前で出されています(本書巻末附録参照)。一方、前々年の陸軍士官学校事件で陸軍を追放され、「粛軍に関する意見書」を執筆した磯部(当時31歳)や村中孝次(当時32歳)の影響力も無視しえないけれど、ある意味、リーダー不在の蹶起だったという言い方も出来なくはなさそうです。さらに、青年将校たちの背後関係(裁判で黒幕とされ処刑された北一輝はどの程度事件に関与していたのか)も曖昧なため、たとえば「忠臣蔵」といえば大石内蔵助、というような明確な主役が分かりづらい事件でもあります。

 

で、恐らく本邦初の2・26事件を映像化した『叛乱』で主役に選ばれたのは、安藤輝三大尉でした。演じたのは当時、知的で繊細な二枚目役を得意とした細川俊夫。安藤大尉といえば、青年将校たちから幾度も蹶起参加を懇願されながら、最後まで参加を躊躇い、しかし、部下の兵士から当時の日本国民の窮情(農村は飢え、娘たちが身売りされれいる)を聞き、やむにやまれぬ思いから蹶起に賛同する、そういうキャラクターとして確立されたのが、この『叛乱』でした。

 


叛乱 香川京子

 

さらに安藤輝三大尉は、襲撃した鈴木貫太郎侍従長(後に終戦内閣の首班)邸で、銃弾を浴びて倒れた鈴木にとどめを刺そうとして、駆け寄った鈴木夫人から「武士の情けです」と懇願され、「歩兵第三連隊・安藤大尉です」と名乗ってとどめを刺さずに去っていくという、絵になるエピソードの持ち主でもあります。

 

一方、この作品で磯部浅一を演じたのは、後に東映の時代劇で、中村錦之助萬屋錦ノ介)や大川橋蔵といった白塗り美男スターを相手に、豪快で頭は切れるけれど腹黒い悪役を得意とした山形勲でした。

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磯部が2・26事件に果たした役割は大きいし、彼が獄中で綴った手記は、その歴史的価値といい、文章の迫力といい、蹶起青年将校が残した文章のなかでもインパクトは十分に大きいのですが(だからこそ今回文庫化したわけですが)、そうした要素は「絵にならない」んです。

ということで、「絵になる主役」は安藤輝三。磯部は、「絵にはならないけれどストーリー展開上、存在感ある脇役に任せるキャラクター」というフォーマットがここに固まったと思います。

 

4年後の1958年、新東宝は『陸軍流血史 重臣と青年将校』(土居通芳監督)を公開、満州事変から2・26事件までの右翼・陸軍テロ(浜口首相暗殺、三月事件、十月事件、5・15事件等)を再現したオムニバスで、クライマックスの2・26事件では、生真面目すぎるほど生真面目な二枚目スターとして役者人生を貫いた感のある宇津井健が安藤を、宇津井健より器用で渋め、善玉から悪役まで幅広い役柄をこなせた御木本伸介が磯部役でした。

 


二・二六事件(新東宝映画『陸軍流血史』より)

 

その後、二枚目大スターだった鶴田浩二が安藤大尉を演じた『銃殺 2・26の叛乱』(1964年、東映、小林恒夫監督)では、磯部役は、やはり頭脳派悪役が似合っていた佐藤慶でした。

 

異色だったのは、1989年公開の大作『226』(松竹富士、五社英雄監督)。この時、磯部役にキャスティングされたのは竹中直人。筆者は、この映画を紹介するテレビ番組で有名映画評論家が「あんな陸軍軍人、いたわけないじゃない!」と叫んだのを見て、それはいくらなんでも竹中さんに失礼だろと感じたのを覚えています。私はゴーリキーの舞台劇「どん底」で「役者」役を演じる竹中さんの正統派演技を見ていたので、納得のキャスティングだったのです。ただ、世間ではまだまだ、「笑いながら怒る人」「終電で酔っぱらって松本清張芥川龍之介の顔芸をする人」のイメージが強過ぎたのでしょう。


笑いながら怒る人

 

とはいえ、実際に映画を見ると、竹中さん扮する磯部の扱いには疑問を抱きました。というのは、磯部以外の青年将校達(三浦友和の安藤大尉をはじめ、萩原健一本木雅弘勝野洋、加藤昌也といった二枚目たち)にはそれぞれ、愛妻(これまた南果歩、安田成美、藤谷美和子賀来千香子、有森也美と豪華顔ぶれ)とのエピソードが細やかに描かれているのに、なぜか主謀者の磯部だけ、奥さんとの場面がないのです。

 

きわめつけはエンディングで、銃殺刑執行の銃声が響いた後、青年将校たちがそれぞれの愛妻とのツーショット回想場面が劇的な音楽とともに流れるなか、なぜか磯部だけは独りきりなんです。「青年将校のリーダーなのに、二枚目じゃないと差別されるのかな」とか、はては「実際の磯部浅一も(ご面相に問題があって)独身だったから、あのキャスティングだったのかな」などと無知かつ無礼な感想を抱いたものでした。


『226』 予告編

 

もちろん、それは私の思い過ごしで、実際の磯部には愛する女性がいました。正式に戸籍に入っていない「内縁」関係だったため、映画ではあえて画面に出さなかったのかと思われます。

 

今回の『獄中手記』では「附録」として「新公開資料」を掲載しましたが、そのなかに、磯部が蹶起2ヵ月たらず前の1935年12月30日、実家に宛てた書簡があります。これは、磯部の実家(山口県長門市)近くにある「磯部浅一記念館(いそべの杜、中嶋智館長)」が所蔵している貴重な資料です。

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磯部浅一記念館(いそべの杜)の記念碑

 

私は昨年秋、磯部の甥の息子さんにあたる秀隆さんのご紹介で、その書簡を拝見し、掲載許可をいただきました。下の写真は、磯部浅一記念館で見せていただいた折り、撮影したものです。

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詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、「登美子」という女性を、実家の籍に容れてほしいと頼む内容です。

登美子(1914~1941)は旧姓・富永。磯部秀隆さんによりますと、磯部が朝鮮半島大邱(テグ)の連隊に勤務していた時(1930年頃)に知り合った、小料理屋で働く女性だったということです。磯部より9歳年下で当時16~17歳くらいでしょうか。

もともとは九州の士族の生まれだったのですが、父親が商売に失敗して没落し、活路を求めて朝鮮半島に流れていったのですね。彼女が養っている弟もいました。磯部は、この姉弟を引き取り、面倒を見てあげていたのです。

磯部のような将校は当時、軍の上官の子女を嫁に迎え、縁戚関係を作るのが普通だということでした。磯部自身、貧しい家の出でしたが、自身の出世よりも、人としての情を優先したということでしょうか。

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磯部が獄中で書いた手記や書簡が後世に残ったのも、登美子の功績が大きいようです。磯部に頼まれ(一部、看守の協力もあったようですが)命がけで外に持ち出したのです。磯部は「万々一、ばれた時には不明の人が留守中に部屋に入れていたと云って云いのがれるのだよ」と登美子にアドバイスしています(本書128頁)

 

この登美子さんがモデルとなった女性をヒロインに据えた映画が、『動乱』(1980年、東映シナノ企画森谷司郎監督)です。5・15事件から2・26事件へと至る時代を高倉健演じる青年将校・宮城啓介(磯部がモデル)を軸に描いた大作です。


動乱 第1部海峡を渡る愛/第2部雪降り止まず(予告編)

 

この作品には、吉永小百合演じる溝口薫という女性が出てきます。借金をかたに芸妓に売られてしまう女性ですが、その弟である陸軍初年兵(永島敏行)は姉を救おうと兵営から脱走を試み銃殺刑となります。その遺骨を引き渡したのが、初年兵の上官である宮城でした。その後、宮城は上官に逆らって抗日ゲリラが抵抗を続ける朝鮮の地に送られ、その地で芸者をしていた薫と再会、宮城は薫を身請けし、結ばれるという筋書きです。

かなりフィクションが加えられていますが、薫という女性は登美子をモデルにしていると、磯部秀隆さんから教わりました。『226』では「不遇な(?)」扱いだった磯部浅一ですが、ちゃんと高倉健吉永小百合の大スター・カップルで、フィクションという形とはいえ物語化されていたわけです。

 

中公文庫プレミアムでは、2・26事件を取り締まる警察の側から詳しく描いた同日発売の安倍源基『昭和動乱の真相』、襲撃された側の証言が掲載されているのが九死に一生を得た岡田啓介岡田啓介回顧録』等も刊行いたしました。他の関連書と合わせてお読みいただけると幸いです。

 

  

獄中手記 (中公文庫)

獄中手記 (中公文庫)

 

  

昭和動乱の真相 (中公文庫)

昭和動乱の真相 (中公文庫)

 

  

岡田啓介回顧録 (中公文庫)

岡田啓介回顧録 (中公文庫)

 

  

私の昭和史(上) - 二・二六事件異聞 (中公文庫)

私の昭和史(上) - 二・二六事件異聞 (中公文庫)

 

  

  

妻たちの二・二六事件 (中公文庫)

妻たちの二・二六事件 (中公文庫)

 

  

  

叛乱 [DVD]

叛乱 [DVD]

 

 

  

銃殺-2.26の叛乱- [VHS]

銃殺-2.26の叛乱- [VHS]

 

  

あの頃映画 「226」 [DVD]

あの頃映画 「226」 [DVD]

 

  

重臣と青年将校 陸海軍流血史 JKL-004-KEI [DVD]

重臣と青年将校 陸海軍流血史 JKL-004-KEI [DVD]

 

 

 

 

 

 

 

 

2・26事件から80年(前編)/磯部浅一「獄中手記」

 

編集者Fです。

 

今年の2月26日は、ちょうど2・26事件から80年にあたります。昨日、BS日テレの「深層NEWS」で2・26事件が取り上げられ、中公文庫プレミアム最新刊・磯部浅一獄中手記』の解説を執筆いただいた筒井清忠先生がゲスト出演されました。

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獄中手記 (中公文庫)

獄中手記 (中公文庫)

 

    

 

今回、この『獄中手記』を編集するにあたり、まず相談にあがったのが筒井清忠先生でした。そのときいただいたアドバイスが、磯部の手記や記録は、河野司編『二・二六事件 獄中手記・遺書』(河出書房新社)をはじめ幾つかの本に別れて活字化されているが、今や絶版になっている。また、磯部のご遺族や図書館等に未公開文書が残っている。どうせ文庫にするなら、それらを全部集めてみたらどうか、というものでした。

 

筒井先生のアドバイスを受け、ライブラリーを探し始めました。国会図書館の「河野司文書」(2・26事件に参加し自決した河野寿大尉の兄。磯部の獄中手記をはじめ、数多くの2・26事件関係文書を発掘された人です)には、磯部が蹶起する前年冬に綴ったと思われる日記の「写し」が収蔵されていました。

 

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磯部浅一日記の一部」とあるように、磯部の自筆ではありません。恐らく、事件発生直後、官憲が押収した日記を写し取ったものでしょう。

また、群馬県立図書館には、磯部の供述調書の、これもまた「写し」が残っていました。

アラフィフより下の世代にはなじみがないかもしれませんが、昔の学校で渡されるプリントには、右のようなガリ版刷りと呼ばれる印刷物が多かったのです。薄紙にガリ版で綴った記録は、裁判が始まる前に磯部を尋問した記録としては、現時点で唯一の貴重な資料ですが、これも当然、原本ではありません。なぜこの文書が群馬県立図書館に所蔵されているのか、但し書きがついてないので何とも言えません。

 

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このように、資料というものがすべて完全な形で残るわけではありません。時間の荒波に晒されるなかで残った資料から組み立てるしかないのが「歴史」です。だからこそ様々な解釈が生まれるのが、「歴史」というものかもしれません。

 

後編では、磯部浅一のプライベートな側面について書きます。

 

 

 

 中公文庫2・26事件関連書籍 

 

私の昭和史(上) - 二・二六事件異聞 (中公文庫)

私の昭和史(上) - 二・二六事件異聞 (中公文庫)

 

 

  

  

妻たちの二・二六事件 (中公文庫)

妻たちの二・二六事件 (中公文庫)

 

  

岡田啓介回顧録 (中公文庫)

岡田啓介回顧録 (中公文庫)

 

  

昭和動乱の真相 (中公文庫)

昭和動乱の真相 (中公文庫)

 

 

描かれたベルリン、その後…谷口吉郎『雪あかり日記/せせらぎ日記』

中公文庫プレミアム、2015年最後の刊行は『雪あかり日記/せせらぎ日記』です。 

 ヒトラーの指揮の下、第三帝国へと都市計画の進むベルリン。若き日の谷口吉郎氏は日本大使館の改築監督のため赴任してきました。大規模な反ユダヤ暴動がドイツ各地で起きたいわゆる水晶の夜にベルリンに到着、独ソ不可侵条約締結の四日後に陸路ノルウェーへ出国、日本へ向かう船で英仏の対独宣戦布告の報を聞くまでが描かれた二冊を合本しました。

歴史の転換点の目撃談としても、建築家としての冷徹な美意識で描き出された文章の美しさももちろんですが、ここでは著者自筆の本文カットに描かれた建物のその後について書きたいと思います。
 
p.33 カイザー・ウィルヘルム記念教会

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「高い尖塔は帝政時代の威厳を示している」とあり、このカットでも完全な姿が描かれていますが、1943年11月23日ベルリン大空襲で破壊され、現在はその破壊された姿そのままに、戦争の記憶を後生に伝えるため保存されています。
※独語サイトですが、画像が見られます。
ベルリン土産にその姿があしらわれていたりも(写真は担当私物のマグカップです)。

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p.90 無名戦士の廟

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 現在ベルリンのウンター・デン・リンデン街に建っている「無名戦士の廟」と呼ばれている建築は、以前、「新衛兵所」といわれていた。シンケルがそれを設計した当時(一八一八年)は、新しい建築だったので、それを「新衛兵所」と呼んで、王宮中にある古い衛兵所と区別されていた。その建築のスタイルは、シンケルの初期の名作として、また、彼の古典主義的意匠を決定的にしたものとして、よく人に知られている。 

と描かれた「無名戦士の廟」は現在、ふたたび、ノイエ・ヴァッヘ(Neue Wache「新衛兵所」)と呼ばれるようになり、1993年、ドイツ再統一を記念して11月第三日曜日を「国民哀悼の日」と定めた際に、「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」(Neue Wache als zentrale Gedenkstätte der Bundesrepublik Deutschland für die Opfer des Krieges und der Gewaltherrschaft)として、「ドイツの英雄」のためではなく、ユダヤ人などナチスによって殺害された人たちも含む追悼施設となっています。

 さらに、
 頭の上から、室内に射しこんでくる光線というものは、人の心に落ちつきを与え、静寂な感銘を与える。
 日本の茶室建築に用いられている「つきあげ窓」も、狭い室内に静かな広がりを感じさせ、ことに日本紙を透したやわらかい光は、一層、狭い室内にいる人の心に、静かな落ちつきと親しさを与える。
 更に、教会堂のような大きな室内で、高い天井から射しこんでくる日光を、人が見上げる時には、人の心は敬虔な印象を受ける。投射される光線が自分の心の奥まで射しこんでくるような、宗教的印象をおぼえる。

  と称された天窓(p.195)

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下に、現在は彫刻家ケーテ・コルヴィッツの「ピエタ(死んだ息子を抱き抱える母親)』の拡大レプリカが置かれています。

※独語サイトですが、画像が見られます。
 
文章とカットに描かれた当時の姿からの変貌を知ると、いっそう、『雪あかり日記』あとがきに書かれた 
 欧州でいろいろな建築が破壊されたことを思うと、私の旅行中の思い出がありありと、目の奥や心の底によみがえってくる。私の記憶には消滅した建築の形や、その色、その周囲の景色までが鮮明になる。そんなことを考えると、私の欧州滞在は実に貴重な時だった。過去の多くの建築や美術が、まさに消えうせんとする、その燃焼の寸前であった。 

との本人の思いが胸に迫るように思えませんか?

この年末年始は

 だが、ベルリンの冬は、晴れた日の続く東京の冬と違って、毎日毎日、暗い天気ばかりが続く。全く鉛色の、どんより曇った日ばかりである。朝は八時近くになっても、まだ暗く、午後は三時にもなれば、もうあたりは暗い。この暗い天候によって、あのいかにもドイツらしい文化がうみだされたのであろう。  

というベルリンの冬に思いを馳せる心の旅をしてみてはいかがでしょうか。

今回のカット再録にあたり、ご子息の谷口吉生氏より、原画をお借りすることができました。さっと描かれたようなペンの線や、指で触れたあとまで伝わってくるやわらかな鉛筆のタッチも復元できたのではないかと思っています。最初は、親本からの複写を考えていたのが、「原画、見つかりました」との連絡を受けて、お借りしにあがりました。たしかあるはずだと苦労して探しましたと笑顔でおっしゃられ、感激しました。

徳川夢声が見た原節子

編集者Fです。

 

今年の11月26日、女優の原節子さんの訃報が伝えられました。ご冥福をお祈りします。

 

原さんについて個人的な思い出を述べますと、かつて、『時代を喰った顔』(写真・文=井上和博/在庫切れ)という本を編集した際、巻頭に、引退後、鎌倉のお宅に暮らしていた頃の原さんの写真を掲載しました。

 

ご存じのとおり、原さんは昭和42年公開の東宝映画『忠臣蔵』(稲垣浩監督)を最期にスクリーンを引退され、その後、世間に出ることはありませんでした。著者の井上カメラマンはかつて、写真雑誌に引退した原さんのスクープ写真を掲載して話題になったのですが、その一枚を掲載したわけです。 

  

時代を喰った顔

時代を喰った顔

 

ところで、中公文庫プレミアムとして8月に刊行した『夢声戦中日記』に、こんな一節があります。

 

原節子の顔をしみじみと見る。これが目下東宝随一の申分のない美人という定評であり、私もそれを認めるものであるが、なんと少しの魅力もないのは妙だ。誠にととのった顔、目つき鼻つき口元などいずれも結構だが、ただそれだけである。それに日本人の顔でないのが強味でもあり弱味でもある。マシュマロという御菓子を連想させられる。こっちが老人なので、彼女も魅力を発散させないのかとも思うが、本当の美人なら枯木のような男でも、何かしらそそられるものがなければならない。

 

そういえば映画評論家の佐藤忠男さんも、海外の映画評論家から「オヅ(小津安二郎)の映画はあんなにすばらしいのに、なぜあんな美人でない女優を使うのか」と問われた事があると書いてらっしゃいました(今、手元に本が見つからないので記憶で書いています)。

 

おそらく、夢声のいうところの「日本人の顔でないのが強味でもあり弱味でもある」というのが正鵠を射ていると思います。原さんはデビュー当時、ロシア人の血が入っているのではないかという噂があったと聞いたことがありますが、確かに日本人離れした容姿は、当時の映画界において、ある種、特異な存在であったと思います。

 

デビュー間もない16歳の時に出演した映画『河内山宗俊』(1936年)では、不良仲間に身を置く弟がやらかした不始末のため、自ら実を売る決意をするけなげな姉を演じています。

この自己犠牲の設定だけならば、当時の日本映画では珍しくないキャラクターだと思いますが、このシーンの山中貞雄監督の演出がすばらしい。最後の雪の降らせ方を含め、日本の浪花節の世界ではなく、キリスト教世界における「聖女」の「殉教」のような雰囲気なんですね。

www.youtube.com

 

あるいは、黒澤明監督がドストエフスキーの小説を日本に置き換えた『白痴』の那須妙子(ナスターシャ)を挙げればいいかもしれません。『新約聖書』に登場するキリスト(ムイシュキン公爵)とマグダラのマリアとの関係を連想させる高級娼婦の役は、ほんとうにはまり役でした。


黒澤明 白痴 Akira Kurosawa The Idiot - YouTube

 

さらに、小津安二郎監督の『東京物語』(1954年)では、上京してきた老夫婦(笠智衆東山千栄子)を、実の子供たちが邪険に扱うのに対して、親切につくす義理の娘・紀子役を演じています。


小津安二郎 『東京物語』 予告編 - YouTube

 

この映画で、個人的に印象的だったのは、お父さんたちの面倒みてくれないかな、と頼まれた原さん演じる紀子が、勤め先の会社の上司に、大変申し訳ありませんが明日お休みをいただいてもよろしいでしょうか、と丁寧な口調でたずねると、上司が間髪いれず「ああ、いいよ」と答える場面です。

そう言われた時、紀子は一瞬、凍り付いたような表情になります。彼女は戦争未亡人で、亡くなった夫との間に子供がなく、ひとりアパートで寂しく暮らしている。会社勤めをしているけれど、別にいなくても、会社は困らない、そんな存在でしかない。両親を邪険にする杉村春子さん演じる長男の嫁が、美容院を経営していて社会や家庭で一定の役割を懸命に果たしているのと好対照です。

自分は誰からも必要とされていないのではないか。そういう、今日ではややありふれていると言えなくもない「虚無」を表現できるスター女優は、原さんの他にいなかったかもしれません。

 

日本人の顔でない」という原さんの最大の個性を通じて、昭和10~20年代の巨匠たちは、他の女優さんでは表現できない何か(おそらく西洋的近代)を懸命に描こうとしていたのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『一老政治家の回想』における「政治と金」

編集者Fです。

 

三ヶ月ぶり刊行の中公文庫プレミアム『一老政治家の回想』には、こんな記述があります。

 

当時の選挙のありさまは、無論演説はするが、演説は二の次で、買収と戸別訪問が主だった。(中略)その時分は有権者の数も知れたものだったし、一々自分で町内を歩いていた。つまり泣き落しに訪問するので、それが成功した。最初は金を使うわけではなく、ただ泣き落しであった。(中略)後には名刺の裏に金を入れるようになったが、初めは金じゃない、ただそういうことで泣き落しというか、芸者のお披露目のようなもので、演説よりその方が効き目があるということであった。

 

これは、明治の終わり頃の選挙風景ですが、戦後になってもしばらくは、同様の事態が続いていたようです。

私の母親は、昭和三十年代、故郷である四国の銀行に数年、勤務していたのですが、母が言うには、選挙が始まると、銀行から五百円札が消えるのだそうです。

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当時の五百円がどの程度の価値があったかは知りませんが、一軒一軒戸別訪問し、名刺の裏だか何かに貼り付けて置いてくるにはちょうどいい相場だったのでしょうね。

ちなみに私は、小学校の修学旅行の帰り、なぜか公民館みたいなところに生徒一同集められ、よく知らないおっさんの講話を聞かされ、鉛筆をもらって帰ってきて親に見せたら、地元選出の衆院議員の名前が入っていると言われました。

 

こういうエピソードは、官僚や軍人出身の政治家の回想ではなかなか出てきません。戦前の政党政治がなぜ崩壊したのかを多面的に考える上で、貴重な回想録だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

ノモンハン紀行

編集者Fです。

 

以前の記事(映像化されたノモンハン事件)で最後に書きましたが、昨年夏、ノモンハン事件の戦跡を訪れる機会がありました。その折、同行させていただいた写真家・井上和博氏が撮影された写真の幾つかは、7月刊中公文庫プレミアム『ノモンハン 元満州国外交官の証言』(北川四郎著)の巻頭口絵に掲載させていただきました。

 

以下の動画は、その折、私が8ミリカメラで撮影したビデオを、つたないながら編集したものです。素人の撮影ですから手ぶれまくりで見苦しいと存じますが、実際のノモンハン事件の現場や、そこに到るまでの様子が映っておりますので、お暇な折にでもご覧ください。聞こえてくる声は、私が取材メモ代わりに、撮影しながら喋った事ですので、事実関係が誤っている事も少なくありません。そのあたりを考慮いただければ幸いです。劇中前後に使った音楽は著作権フリーのものです。

 

昨夏の私的取材にご協力いただいたモンゴルの方々、動画の公開を許可いただいた井上和博氏に感謝申し上げます。

 


ノモンハン紀行(2014年8月)

 


ノモンハン紀行 2014年8月 - YouTube

 

ノモンハン - 満州国外交官の証言 (中公文庫プレミアム)

ノモンハン - 満州国外交官の証言 (中公文庫プレミアム)

 

  

日本を継ぐ異邦人

日本を継ぐ異邦人

 

 

 

 

広島原爆投下70年に寄せて

編集者Fです。

 

今回は中公文庫プレミアムの話題ではありませんがご容赦ください。

 

今夜、NHKスペシャルとして放映された「きのこ雲の下で何が起きていたのか」は、原爆投下3時間後、爆心地からわずか2キロの地にある御幸橋の上で撮影された2枚の写真を中心に、被爆者たちが味わった悲劇を再現しようとした力作でした。写真にうつっていた50人余の人のうち2名がご健在で、しかも、その場に居合わせた方が30名以上見つかって証言を寄せられたそうです。

 

↓NHK広島放送局の特設ページ。予告編が見られます。

www.nhk.or.jp


 

最初は、「原爆投下から70年以上もたっているのに、特定の場所に居合わせた被爆者の方がそんなに大勢見つかるなんて」と不思議だったのですが、やがて理由が明かされました。当時の広島市は、成年男子の多くが戦場にとられ、さまざまな職場が人手不足だったので、穴埋めとして大勢の中学生男女が勤労動員されていたそうです。原爆が投下された1945年8月6日午前8時15分頃、爆心地となった広島市の中心部では、大勢の勤労動員された子供たちが働いていたわけですね。

 

そのなかの1人に、お話をうかがった事があります。元日本サッカー協会会長の長沼健さん(1930~2008)です。

 

2000年の3月30日、2年後に開かれる2002年日韓共催サッカーワールドカップに向けて、私は『日本サッカーはほんとうに強くなったのか』という本を編集していました。

サッカージャーナリストの大住良之さんと後藤健生さんが聞き手となって、育成・報道・国内リーグ運営・サッカーの歴史といった多角的な角度から、キーマンに話をうかがうという構成でした。 

 長沼健さんは、日本代表選手として初めて参加したワールドカップ予選(1954年。韓国と2試合を戦う)に出場してゴールを決めた選手であり、1964年と68年のオリンピックでは代表監督を務め、98年ワールドカップ初出場時の協会会長と、まさに日本サッカーの生き字引でした。

最初に、戦前、長沼さんが、当時はまだメジャーではなかったサッカーに触れるあたりのことを伺っている時、実は広島で被爆したご経験を語ってくださったのです。

 

当時、長沼さんは広島高等師範附属中学校の2年生。小学校ではじめたサッカーどころではなく、軍都・広島の工場に動員され働く毎日でした。長沼さんの言葉を、以下に引用します。

 

当時、学校防衛当直というのがあった。…空襲警報が出ると一つのクラスの生徒全員が学校に集まって、徹夜で警戒するわけ。…八月五日の晩に空襲警報が出たので、われわれのクラスが学校防衛当直に駆り出された。…六日の早朝になって警戒警報に切り替わった。先生が生徒を集めて「昨夜はご苦労であった。みんな徹夜したから、きょうは工場へ行く必要はなし。自宅へ帰ってそれぞれ寝ろ」と言われて、「ありがとうござい」って解散したんです。私は当時、強制疎開で市内の自宅を壊されて、現在のビッグアーチのあるあたり(郊外)に住んでいた。そこまで自転車をこいで帰る途中に、原爆を落とされたわけです。…先生が解散させてくれたのが三十分遅れていたら、(投下された時間には)ちょうど原爆ドームのあたりを走っていますから、人生終わっていたでしょうね。完全に消えていた。

 

その翌日、当時の長沼少年は、行方不明の近親者を捜しに広島市内へ向かい、地獄絵図を目の当たりにします。

 

広島や長崎だけでなく、多くの戦場で、空襲にあった各都市で、「偶然」によって生死をわけることになった人々が本当に大勢いらしたのだろうなと思わされます。日本はこの70年、戦争をしていません。ただ、夏が来る度に、こうやって戦争にちなんだ活字や映像に触れる機会を作っていくことの大事さを、出版界の末端にいる身として考え、形にし続けていきたいと、改めて思いました。

SP時代の名曲名盤

クラシック音楽は、作曲家が楽譜に残した作品を、演奏家が再現する芸術です。たとえ200年前に書かれた楽曲でも、今の時代に演奏されれば、そこに新たな創造があり、聴く人に感銘を与えることができます。特定の時代の誰かの解釈が「絶対」ということはありません。録音技術の発達により、新しい録音のほうが、音質がすぐれ臨場感溢れる演奏を再現できる、ということはあるでしょう。しかし、録音の優劣を超えて、深い感動をもたらす素晴らしい演奏、というのもあります。

あらえびす『名曲決定盤』は、アコースティック録音(ラッパ型の集音器により、機械的に原盤に音を刻む方式=旧吹込み・骨董レコード)から、電気録音(マイクを通して、音を電気信号に変換し記録する方式)に移行した時期、主として最新の電気録音から、名盤を厳選したものです。その基準としたのが、「よき曲、よき演奏、よき録音」という蒐集道の法三章でした。

「あらえびす」こと野村長一は、クラシック音楽、レコードの評論家としてよりも、「野村胡堂」の筆名で書き継いだ『銭形平次捕物控』の作家として知られています。テレビ時代劇で、大川橋蔵投げ銭を決める姿を思い浮かべる方も多いでしょう。その「銭形平次」執筆中は、もっぱらバッハのレコードをかけ続けていたと言われています。

『名曲決定盤』の構成は、ヴァイオリン、ピアノといった器楽曲、弦楽四重奏などの室内楽、歌曲やアリアなどの声楽曲、指揮者とオーケストラという並びになっています。この文庫版では、上巻を「器楽・室内楽篇」、下巻を「声楽・管弦楽篇」の二分冊としています。今だとクラシックCDのガイド本は、指揮者とオーケストラが大きな割合を占めますが、本書では、この部分が手薄です。それもそのはず、電気録音になってもSP盤ですから、再生時間は片面5分未満で、交響曲となると製作するほうも聴くほうも容易ではありません。SPレコードが何枚も入ったアルバムのようなものが売られていましたが、とても高価でした(今も、シングル盤に対して、曲集を「アルバム」と呼ぶのは、これが語源です)。

ベートーヴェンの第九だと、SPでは9枚(18面)を要したのです。ちなみにLPだと1枚半、速い演奏だとぎりぎり1枚に収まったのを思い出します。CDの最大収録時間を70分強としたのは、第九が1枚に収まるようにとの指揮者カラヤンの意向があったと言われています。

そういうわけで、あらえびすが挙げる究極のレコードは「ピアノならコルトーから一枚、ヴァイオリンならクライスラーを一枚」ということになるのです。

しかし、過去30年間にわたる1万枚の蒐集レコードから、名盤を紹介しているのですから、そのセレクションは、現代でも十分傾聴に値します。そして幸いなことに、ここに紹介されている多くの演奏は、インターネット環境の飛躍的進歩によって、アクセスすることが可能になっています。

たとえば、本書で、あらえびす自身が日本ビクターに対して発売を働きかけたエピソードが語られる、シャルク指揮ウィーン・フィルベートーヴェン交響曲第5番「運命」の演奏も、YouTubeにアップされ聴くことができます。


Franz Schalk conducts Beethoven:Symphony No.5 フランツ ...

文庫解説で、演奏史譚の山崎浩太郎さんは、「モーツァルトストラヴィンスキーの偉大さを比較することが難しいように、過去の演奏と現代の演奏の優劣を比較することは、簡単なようでじつは難しい。それぞれがその時代に属していて、それぞれに価値がある。レコードにおける名演奏の歴史は、次々と塗りかえられるものではなく、つみかさなっていくものだ。あらえびすは、一九三九年という『現在』における名演奏について、魅力つきない語り口で、語ってくれている。後世に、かけがえのない『現在』を遺してくれているのだ」と述べています。こうして本書を片手に、SP時代の名曲名盤を楽しむ時代が、ついに訪れたと言えるのかもしれません。

なお、あらえびすの出生地、岩手県紫波町には「野村胡堂・あらえびす記念館」があります。その多才な事績を、遺されたレコードコレクションなどとともに知ることができます。

http://kodo-araebisu.jp/

 

 

名曲決定盤(上) - 器楽・室内楽篇 (中公文庫プレミアム)

名曲決定盤(上) - 器楽・室内楽篇 (中公文庫プレミアム)

 

 

 

名曲決定盤(下) - 声楽・管弦楽篇 (中公文庫)

名曲決定盤(下) - 声楽・管弦楽篇 (中公文庫)

 

 

 

映像化されたノモンハン事件

編集者Fです。

 

7月25日刊行中公文庫プレミアムの一冊「ノモンハン 元満州国外交官の手記」(北川四郎)は、サブタイトルにあるとおり、1939年に日本・満州連合軍とソ連・モンゴル連合軍が激突したノモンハン事件に、満州国外交官として参加した著者の貴重な手記です。

  

ノモンハン - 満州国外交官の証言 (中公文庫プレミアム)

ノモンハン - 満州国外交官の証言 (中公文庫プレミアム)

 

 

 現在でも、国境確定問題は難しいテーマです。本書でも言及されていますが、北方領土竹島、そして尖閣諸島と、現在の日本は外国との領土をめぐる難題を抱えておりますが(竹島に関しては問題が存在しないといのが日本政府の立場)、戦前の日本が国境問題を原因としてついに軍事衝突にまで発展した一例として、ノモンハン事件は今日でもある種の教訓となりうるのではないか。そういう意図の下、復刊に至ったわけです。

 

本書の眼目は、モンゴルと満州(それぞれの背後にあるソ連や日本)との国境問題を中心としてノモンハン事件を語ることにありますので、具体的な戦闘描写は控え目です。その代わりというわけではありませんが、これまでノモンハン事件について映像化された二作品を紹介したいと思います。

 

まずは、1970年から73年にかけ、日活が社運をかけて製作した『戦争と人間』三部作の第三部『戦争と人間 完結編』。『人間の条件』で有名な五味川純平の原作をもとに、張作霖爆殺事件からノモンハン事件にいたる戦前の歴史を、満州に進出した五代財閥の一族を軸として描き、滝沢修芦田伸介、高橋悦史、浅丘ルリ子北大路欣也吉永小百合高橋英樹江原真二郎三国連太郎、高橋幸治、山本圭加藤剛岸田今日子栗原小巻石原裕次郎二谷英明田村高廣松原智恵子丹波哲郎西村晃佐久間良子と豪華スターがずらりと顔を揃えた超大作でした。本当は太平洋戦争まで描かれる予定だったようですが、日活の経営状況もあってノモンハン事件で完結せざるを得なかったと言われています。

ただ、ソ連軍の協力を得て、現地でロケした映像は迫力があり、おそらく日本映画で唯一映像化されたノモンハン事件として貴重なものではないでしょうか(私自身、小学生の時テレビでこの映画を見て、ノモンハン事件に興味をもった思い出があります)。

 


戦争と人間 第三部 ノモンハン事件勃発 - YouTube

 

もう一つは、2011年に制作され翌年日本でも公開された韓国映画『マイウェイ  12,000キロの真実』。日本軍将校(オダギリジョー)と朝鮮人軍属(チャン・ドンゴン)の対立と友情を軸に、ノモンハン事件独ソ戦ノルマンディ上陸作戦までを描いた大作でした。

昨今の風潮から、反日映画と決めつけるムキも強く、さほどヒットには結びつかなかったようです。確かに、新しく赴任してきた司令官オダギリジョー)が、前任の司令官鶴見辰吾)に自決を命じるなど、日本軍の非情さを強調した展開もありましたが(事件終結後、司令部が指揮官にピストルを渡し自決を強要した史実をアレンジしたものか)、オダギリジョーさん扮する日本軍人は、主人公のチャン・ドンゴンよりある意味、人間的でかっこよく描かれていて、個人的には反日感情は覚えなかったのですが、それはともかく、史実の再現を重要視した『戦争と人間』に比べ、こちらは美人の中国人狙撃兵が絡んだりして、よりエンタメ色が濃厚でした。

 


ノモンハン事件 - YouTube

 

これらの映像作品を通して、歴史的事実をビジュアルとしてとらえることが、活字を読む上での理解の助けになれば幸いです。

 

なお私事ですが、昨年の夏、ノモンハン事件の現場を訪ねました。その時に撮影した動画なども、こちらでおいおい、紹介したいと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月刊中公文庫プレミアム発売開始!

編集者Fです

 

7月25日刊中公文庫プレミアムが発売開始されます。

 

今回は、以下の4冊です。 

 

近衛文麿最後の御前会議・戦後欧米見聞録 近衛文麿手記集成

貴公子は戦争を招いたのか、それとも戦争を防げなかったのか? 日中戦争勃発の年である1937年から日米開戦直前の41年まで3次にわたって内閣首班となり、戦後、戦犯の汚名を受け入れずに自決した近衛文麿。その思想の軌跡を綴った手記六篇(「英米本位を平和主義を排す」「戦後欧米見聞録」「世界の現状を改善せよ」「近衛上奏文」「平和への努力」「最後の御前会議」)を収録した決定版。解説は井上寿一先生です。

 

北川四郎『ノモンハン 元満州国外交官の証言

1939年、満州国とモンゴルの国境線をめぐり、日本・満州軍とソ連・モンゴル軍が激突し、双方会わせて2万前後の死傷者を出したノモンハン事件。事件後、ソ連との国境線画定交渉に参画した著者が、この軍事衝突を「国境紛争」の視点から綴った手記を36年ぶりに復刊。解説は田中克彦先生です。

 

袖井林二郎マッカーサーの二千日

「青い目の将軍」と呼ばれた老軍人はなぜ、敵国統治に成功したのか? 連合国最高司令官のパーソナリティと、被占領者だった日本人の民族性の両面から、内外の史料を駆使して描いた、日本人研究者によるマッカーサー評伝の金字塔。解説は第16回読売吉野作造賞を受賞した『日本占領史1-45-1952』の著者・福永文夫先生です。

 

あらえびす『名曲決定盤(下)声楽・管弦楽篇

銭形平次シリーズの作者にして、昭和を代表する音楽の聴き手でもあった、あらえびす(またの名は野村胡堂)が、トスカニー二やフルトヴェングラー交響曲、ソプラノのレーマン、バスのシャリピアンらの熱唱を批評。解説は山崎浩太郎先生です。

 

是非、ご一読を!

 

  

ノモンハン - 満州国外交官の証言 (中公文庫 き 43-1)

ノモンハン - 満州国外交官の証言 (中公文庫 き 43-1)

 

  

マッカーサーの二千日 (中公文庫 そ 2-4)

マッカーサーの二千日 (中公文庫 そ 2-4)

 

  

名曲決定盤(下) - 声楽・管弦楽篇 (中公文庫 あ 27-4)

名曲決定盤(下) - 声楽・管弦楽篇 (中公文庫 あ 27-4)