戦前・戦後の時間感覚……『岡田啓介回顧録』
編集者Fです。
今月の中公文庫プレミアムでは『岡田啓介回顧録』を担当しました。
本書は1950(昭和25)年に毎日新聞社から刊行され、その後、1977年に、ロンドン海軍軍縮会議(1930年)をめぐる岡田の日記と、池田清氏(1925-2006 政治学者。海軍出身)による日記の解説を付して、同じ毎日新聞社から再刊されました。
1987年に中公文庫に収録され、その後、2001年に改装版(中公文庫BIBLIO20世紀)が出されました。今回の復刊は三度目ですが、これまでの文庫版では省かれていた池田清氏の長文解説を、ご遺族の諒解を得て復活させました。いわば「決定版」になったと自負しております。
ところで、本には「帯」と呼ばれる、その本のキャッチコピーなどを書いた紙が巻かれています(腰巻と呼ばれていた時機もありました)。このキャッチコピーを考えるのは、たいていの場合、編集者の役目です。
キャッチコピーの作り方は、様々なやり方がありますが、よく使われる手法に、本文から、その本の肝ともいうべき言葉を抜き出すやり方です。今回の『岡田啓介回顧録』の帯に使ったコピーは以下のものです。
「軍縮」から10年、戦争は「突然はじまってしまった」。
これは本文218ページ、「東条とのたたかい」の章の冒頭、「さて、太平洋戦争は突然はじまってしまった」から取ったものですが、なぜこのフレーズを使ったかというと、初めてこの本を読んだとき、いちばん強く印象に残った言葉だったからです。
ご存知のとおり岡田啓介は、内閣総理大臣の座にあった1936(昭和11)年に勃発した二・二六事件の標的となり、九死に一生を得たのですが、事件が鎮圧されてほどない3月9日、内閣総辞職し第一線から実を退きます。
その後も、政官界ならびに陸海軍に太いパイプを持っていた岡田は、さまざまな情報を得ていましたし、影響力を行使していたはずなので、日米開戦は「寝耳に水」ではなかったはずなのですが、それでも「戦争は突然はじまってしまった」と言わしめたのはなんだったのか?
日米開戦は1941(昭和16)年ですから、二・二六事件の5年後です。そういえば今から5年前(2010年)に何があったのか調べてみましたら、
1月/ドバイに世界一の超高層ビル、オープン
ハイチで大震災
2月/バンクーバー冬季オリンピック開催
3月/モスクワ地下鉄で連続自爆事件
4月/タイでタクシン前首相支持派団体がデモ
6月/鳩山由紀夫内閣総辞職
ワールドカップ南アフリカ大会開催
8月/イラク駐留アメリカ軍戦闘部隊が撤退完了
9月/尖閣諸島で中国漁船が海上保安庁巡視船に衝突
10月/尖閣諸島をめぐり中国で大規模でも
11月/北朝鮮軍が韓国の延坪島を砲撃
ちなみにノーベル賞化学賞を根岸英一、鈴木章両氏が受賞したのもこの年でした。
この5年前の出来事を「昨日のことのようだ」と思うかどうかは、人それそれですが、開戦時に73歳だった岡田にとっては、「二・二六で押し入れの中に隠れていたのは、つい昨日のようだったのになあ」と感じられたのではないでしょうか。
岡田啓介は1868年、まさに明治新政府が発足したのとほぼ同時期に生まれました。海軍に入った後、日清戦争、日露戦争、そして第一次世界大戦に参戦します。その1000万人ともいわれる戦死者を出した第一次世界大戦の反省から、1920年代の国際社会では世界平和が合い言葉になり、1922年のワシントン会議で主要国の主力艦保有量が制限されました。この時、日本海軍がイギリスやアメリカに比べ6割しか保有できなかった事が大きな不満としてくすぶり、1930年代の軍国主義台頭・国際社会での孤立に繋がっていくと思われますが、そのくすぶりが表面化したのが、1930年のロンドン海軍軍縮会議でした。
ご存じのとおり、岡田啓介は「条約派」として軍縮条約締結に尽力します。その顛末は『岡田啓介回顧録』に記されたとおりですが、その結果、翌1931年に浜口雄幸首相が暗殺され、32年には五・一五事件で犬養毅首相が暗殺、33年には国際連盟脱退、34年には陸軍士官学校事件(クーデター未遂)、35年に永田鉄山暗殺、そして36年の二・二六事件と、まさに「一瀉千里」。
ちなみに、ロンドン軍縮会議から日米開戦までは11年。11年前の2004年に起こった主な出来事と言いますと、
1月/自衛隊イラク派遣開始(初の陸上自衛隊戦闘地域への派遣)。
3月/長嶋茂雄(アテネ五輪日本代表監督)が脳梗塞で入院
スペイン列車爆破事件発生
4月/イラク日本人人質事件
5月/皇太子徳仁親王「人格否定」発言
5月/小泉首相、北朝鮮を訪問。拉致被害者家族5人が帰国
6月/佐世保小6女児同級生殺害事件
7月/扇千景議員、女性初の参議院議長就任
8月/北京アジアカップで、中国人観客が反日騒動
アテネ五輪開幕
沖縄国際大学敷地内に普天間基地所属の米軍ヘリ墜落
9月/日本プロ野球選手会、ストライキ決行
10月/新潟県中越地震
11月/米大統領選挙にブッシュ勝利
アラファト、パレスチナ自治政府大統領死去
12月/スマトラ島沖地震(死者20万人以上)
ちなみにこの年、ニンテンドーDSが発売され、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』が大ヒット、『海猿』シリーズが始まり、『ゴジラ FINAL WARS』で東宝の怪獣特撮シリーズが終了。「オレオレ詐欺」がニュースに取り上げられるようになり、流行語としては「チョー気持ちいい(北島康介選手)」「セカチュー(片山恭一作『世界の中心で愛を叫ぶ』)」「ヨン様(韓流ブーム)」「負け犬(酒井順子『負け犬の遠吠え』)」「自己責任」等々。
さて、上記の出来事を「昨日の出来事のよう」と感じられるかどうかは人それぞれだと思いますが、まさに、イラク人質事件で「自己責任」という言葉が流行し、そして今年の自称「イスラム国」による後藤健二さん殺害事件で再びこの言葉が浮上するまでが、ロンドン海軍軍縮条約から日米開戦までの長さという事になります。
ついでに、それ以前の日本史上の事件が、日米開戦の何年前だったか、2015年から同じ期間溯っての年と比較してみますと、
1868年 岡田啓介出生/明治維新 1942年 ミッドウェイ海戦
1920年 国際連盟(日本常任理事国) 1994年 松本サリン事件
1923年 関東大震災 1997年 神戸連続児童殺傷(通称・酒鬼薔薇)事件)
考えてみれば、明治維新から日米開戦までは73年。今年が戦後70年ということを考えてみますと、「戦前」という期間の「時間感覚」がある程度実感できるのではないでしょうか。近代国家としてスタートし、国連常任理事国(五大国)の一国となるまで発展しながら、ついに国を亡ぼすことになるまでの「短さ」に思いを馳せては如何でしょうか。