毛沢東アゲイン!
編集者Fです。
中公文庫プレミアム、10月刊の毛沢東『抗日遊撃戦争論』を読んだ、年長の大先輩からこんな事を言われました。彼が三十数年前、大学で中国語を学んだ際、テキストとして、本書に収録された論文「文芸講話」が使われたというのです。その頃、日本には現代中国語のテキストがあまり流通しておらず、毛沢東の論文くらいしかなかったというのですね(AMAZONなどで個人的に海外の本を輸入できる時代でもありませんでした)。
現在、アメリカと世界(少なくとも太平洋)を二分しそうな勢いの中国の存在感からは想像もつきませんが、20世紀末までの中国は、神秘のベールに包まれた国でした。文化大革命や天安門事件のような歴史的事件はともかく、大気汚染や不動産バブルといった「日常的な」話題については、ほとんど伝わってこなかった。ある意味で、それが逆に、中国や、中国の指導者を、プラスであれマイナスであれ、より「巨大な存在」にしていたような気がします。
では、日本において毛沢東の存在はどんな形で伝えられたのだろうと興味を抱き、とりあえず国会図書館のホームページを検索したところ、興味深い著書に出会いました。1929(昭和4)年に発行された『支那国民革命に於ける農民運動』というタイトルの本です。デジタル化されていて、パソコンで読めますので、興味のある方は以下からアクセスしてみてください。
国立国会図書館デジタルコレクション - 支那国民革命に於ける農民運動
で、この本に、本書で収録した「湖南省農民運動の視察報告」が翻訳掲載されています。版元は「南満州鉄道株式会社」で、編者は「南満州鉄道株式会社庶務部調査課」です。南満州鉄道株式会社(略称・満鉄)は、ご存じのとおり、日露戦争の勝利で日本が得た、南満州鉄道を経営すると同時に、中国大陸や、隣接するロシア(ソ連)等の情勢を調査する役割も担った国策会社でした。
で、この書が刊行された1929年といえば、前年に済南事件が起こっています。辛亥革命後の混乱のさなか、蒋介石率いる国民党軍と、中国に駐屯する日本軍の小競り合いが頻発したなか、山東省済南で日本人居留民12名が国民党軍に殺害される事件が起こり、日本政府は居留民保護を名目に大規模な軍隊を派遣し(山東出兵)、これに反発した中国人が「排日運動(日本製品ボイコット運動)」を展開したわけです。
もともと、1914年に日本政府が中国(袁世凱政権)につきつけた「対華21箇条要求」以後、中国で急速に高まった反日感情が爆発した形になったのが済南事件で、その2年後に満州事変が起こっていますから、いわば、日中関係が軍事衝突を招いた時期に刊行されたのが、この『支那国民革命に於ける農民運動』なんです。
おそらくこの書は、一般の書店で販売されたのではなく、政府や官庁、軍部などの支配層内で回覧されたのだと思います。社会主義思想の広がりに政府は鋭敏に対処し、暴力的手段も辞さなかった時代ですから。「湖南省農民運動の視察報告」が描いた農民暴動の実態(地主層を捕まえて赤い三角帽子をかぶせて引きずり回す等々)が、日本の支配層にどんな衝撃を与えたのか、とても興味深く思います。
さて、毛沢東が「湖南省農民運動の視察報告」でレポートした手荒な「農民運動」は、1966年に発動された「文化大革命」で、中国全土で再現されます。
すばらしい解説を寄稿していただいた吉田富夫先生は、「毛沢東の革命家としてのもっとも見事なところは『ごろつき運動』めいて『むちゃくちゃ』で『ゆきすぎ』と見える農民運動を一ミリの躊躇いもなく『すばらしい』と言い切ってみせたところでしょう」と喝破されています。
「古き思想を一掃して新しい世界を作る」という発想の下、おびただしい犠牲者を出したのみならず、中国の進歩を激しく停滞させたと評されることも多い「文化大革命」ですが、その10年前、中国は、毛沢東の「大躍進」政策によって、文化大革命以上のダメージを受けていました。
↓詳しくは、以下の書でお読み下さい。
その中国が、いまや、全世界の行く末を左右するだけの力をもったプレイヤーとして、国際社会で半端ない存在感を発揮しています。
それに対して、いわゆる「嫌中(中国ガー)」的な対応をするのではなく、過去の歴史から学ぶことによって「適切な」隣国との接し方の参考になる書を、これから刊行していきたいと考えています。