もう一つの『沖縄決戦』
編集者Fです。
5月25日発売の中公文庫プレミアム『沖縄決戦 高級参謀の手記』ですが、発売後半月にして増刷が決まりました。
前回のブログで、著者である八原博通元大佐の長男である八原和彦氏の「談話」を掲載いたしましたが、SNSなどでは、「映画『沖縄決戦』で八原大佐を演じた仲代達矢さんが、八原さん本人に会っていたのか!」と驚く声が見られました。
映画『激動の昭和史 沖縄決戦』は、沖縄返還の前年である1971(昭和46)年に、東宝のいわゆる「8・15シリーズ」(『日本のいちばん長い日』に始まる)として公開されました。脚本は新藤兼人、監督は岡本喜八。配役は、第三二軍司令官・牛島中将に小林桂樹、参謀長・長勇に丹波哲郎、「沖縄県民かく戦えり」の電報で有名な沖縄方面根拠地司令官・太田実に池部良、陸軍参謀総長・梅津美治郎に東野英治郎の他、岸田森(軍医)、高橋悦史(賀谷中佐)、田中邦衛(司令部壕付きの散髪屋)といった懐かしい「岡本組」の面々がずらりと顔を揃えています。
BATTLE OF OKINAWA 激動の昭和史 沖縄決戦 - Original ...
で、別に連動した企画ではないのですが、この映画も五月二十日にDVDが発売されています。
もちろん、「ひめゆり部隊」や「鉄血勤皇隊」をはじめとする非戦闘員を巻き込んだ悲惨な沖縄戦の実態が描かれますが、物語の推進役となるのは、名優三人が演じる第三二軍司令部です。
豪放磊落で情緒に流されやすい丹波哲郎の長参謀長、温厚で自分の意見を述べずバランサーに徹する小林桂樹の牛島司令官のなかにあって、終始、情に流されることなく冷徹に戦略を組み立てようとする仲代達矢の八原大佐。
にこにこしているだけで戦争指揮は参謀に任せっぱなしの牛島司令官や、戦争が始まる前はやたら威勢がいいのに始まってしまってからは病気で寝転がってうなされている長参謀長にはイライラさせられましたが、それ以上にイライラさせられたのは、沖縄を「本土決戦を前にした捨石」としか思っていない、東京の軍中央の連中でした。
そんななかにあって、現在の状況でどう戦えば、少しでも日本軍にとって有利になるか、つとめてそこに精神を集中させようとする、八原大佐の姿が印象的でした。
実際の八原大佐が沖縄決戦で果たした役割や、彼が考案した戦術についての評価は、さまざまでしょう。ただ、八原大佐が、ぎりぎりの状況のなかで作戦立案を一身に背負わされ、日一日と不利な状況に襲われるなか、最後まで「高級参謀」として戦おうとしたことは『沖縄決戦 高級参謀の手記』で十分に伝わってくると思います。
ちなみに、この『激動の昭和史 沖縄決戦』には、沖縄戦当時の沖縄県知事・島田叡(神山繁)も登場します。決戦前夜に決死の覚悟で赴任した島田知事については、田村洋三著『沖縄の島守 内務官僚かく戦えり』に詳しく描かれています。
著者の田村洋三さん(1931年生まれ)は、長年、太平洋戦争の犠牲者やその遺族を取材してきた、元読売新聞記者。『激動の昭和史 沖縄決戦』で八原大佐を演じた仲代達矢さんとは一歳違いです。
仲代さんが自身の俳優人生をつづった『遺し書き 仲代達矢自伝』を中公文庫として復刊する際、編集を担当しました。このとき仲代さんは、小学生のとき疎開から帰ってきたら同級生の多くが空襲で亡くなった事に触れながら、その年にご自身が舞台で演じられた役柄に事寄せて「ドンキホーテじゃないですが、私は平和憲法を支持します」と語っておられました。
戦後70年。
戦争の記憶はどんどん風化していくなか、国際的環境は大きく変化しています。
そんななか、実際の「戦争」を経験した人々の「声」を、さらに紹介していきたいと思っています。