中公文庫プレミアム 編集部だより

永遠に読み継がれるべき名著を、新たな装いと詳しい解説つきで! 「中公文庫プレミアム」を中心に様々な情報を発信していきます!

毛沢東アゲイン!

編集者Fです。

 

中公文庫プレミアム、10月刊の毛沢東抗日遊撃戦争論』を読んだ、年長の大先輩からこんな事を言われました。彼が三十数年前、大学で中国語を学んだ際、テキストとして、本書に収録された論文「文芸講話」が使われたというのです。その頃、日本には現代中国語のテキストがあまり流通しておらず、毛沢東の論文くらいしかなかったというのですね(AMAZONなどで個人的に海外の本を輸入できる時代でもありませんでした)。

現在、アメリカと世界(少なくとも太平洋)を二分しそうな勢いの中国の存在感からは想像もつきませんが、20世紀末までの中国は、神秘のベールに包まれた国でした。文化大革命天安門事件のような歴史的事件はともかく、大気汚染や不動産バブルといった「日常的な」話題については、ほとんど伝わってこなかった。ある意味で、それが逆に、中国や、中国の指導者を、プラスであれマイナスであれ、より「巨大な存在」にしていたような気がします。

 

では、日本において毛沢東の存在はどんな形で伝えられたのだろうと興味を抱き、とりあえず国会図書館のホームページを検索したところ、興味深い著書に出会いました。1929(昭和4)年に発行された『支那国民革命に於ける農民運動』というタイトルの本です。デジタル化されていて、パソコンで読めますので、興味のある方は以下からアクセスしてみてください。

 

国立国会図書館デジタルコレクション - 支那国民革命に於ける農民運動

 

で、この本に、本書で収録した「湖南省農民運動の視察報告」が翻訳掲載されています。版元は「南満州鉄道株式会社」で、編者は「南満州鉄道株式会社庶務部調査課」です。南満州鉄道株式会社(略称・満鉄)は、ご存じのとおり、日露戦争の勝利で日本が得た、南満州鉄道を経営すると同時に、中国大陸や、隣接するロシア(ソ連)等の情勢を調査する役割も担った国策会社でした。

で、この書が刊行された1929年といえば、前年に済南事件が起こっています。辛亥革命後の混乱のさなか、蒋介石率いる国民党軍と、中国に駐屯する日本軍の小競り合いが頻発したなか、山東済南で日本人居留民12名が国民党軍に殺害される事件が起こり、日本政府は居留民保護を名目に大規模な軍隊を派遣し(山東出兵)、これに反発した中国人が「排日運動(日本製品ボイコット運動)」を展開したわけです。

もともと、1914年に日本政府が中国(袁世凱政権)につきつけた「対華21箇条要求」以後、中国で急速に高まった反日感情が爆発した形になったのが済南事件で、その2年後に満州事変が起こっていますから、いわば、日中関係が軍事衝突を招いた時期に刊行されたのが、この『支那国民革命に於ける農民運動』なんです。

おそらくこの書は、一般の書店で販売されたのではなく、政府や官庁、軍部などの支配層内で回覧されたのだと思います。社会主義思想の広がりに政府は鋭敏に対処し、暴力的手段も辞さなかった時代ですから。湖南省農民運動の視察報告」が描いた農民暴動の実態(地主層を捕まえて赤い三角帽子をかぶせて引きずり回す等々)が、日本の支配層にどんな衝撃を与えたのか、とても興味深く思います。

 

さて、毛沢東湖南省農民運動の視察報告」でレポートした手荒な「農民運動」は、1966年に発動された「文化大革命」で、中国全土で再現されます。


文化大革命(瘋狂記實) - YouTube

 

すばらしい解説を寄稿していただいた吉田富夫先生は、「毛沢東の革命家としてのもっとも見事なところは『ごろつき運動』めいて『むちゃくちゃ』で『ゆきすぎ』と見える農民運動を一ミリの躊躇いもなく『すばらしい』と言い切ってみせたところでしょう」と喝破されています。

 

「古き思想を一掃して新しい世界を作る」という発想の下、おびただしい犠牲者を出したのみならず、中国の進歩を激しく停滞させたと評されることも多い「文化大革命」ですが、その10年前、中国は、毛沢東の「大躍進」政策によって、文化大革命以上のダメージを受けていました。

↓詳しくは、以下の書でお読み下さい。

 

餓鬼(上) - 秘密にされた毛沢東中国の飢饉 (中公文庫)

餓鬼(上) - 秘密にされた毛沢東中国の飢饉 (中公文庫)

 

 

 

餓鬼(下) - 秘密にされた毛沢東中国の飢饉 (中公文庫)

餓鬼(下) - 秘密にされた毛沢東中国の飢饉 (中公文庫)

 

 

その中国が、いまや、全世界の行く末を左右するだけの力をもったプレイヤーとして、国際社会で半端ない存在感を発揮しています。

それに対して、いわゆる「嫌中(中国ガー)」的な対応をするのではなく、過去の歴史から学ぶことによって「適切な」隣国との接し方の参考になる書を、これから刊行していきたいと考えています。

 

 

抗日遊撃戦争論 (中公文庫)

抗日遊撃戦争論 (中公文庫)

 

 

いまどき社会主義?・・・・・なんておっしゃらずに

編集者Fです。

 

10月刊の中公文庫プレミアムは、ジョン・ダワー『吉田茂とその時代』(上下)、毛沢東抗日遊撃戦争論』そしてヴォー・グエン・ザップ『人民の戦争・人民の軍隊』というラインナップでしたが、一応、この3書(4冊)を並べたのは、意図があります。

 

早めに答えを言っちゃいますが、「第二次世界大戦後、国の体制が変わったアジアの国家で指導的役割を果たした人物についての本」です。(ちなみに吉田茂大日本帝国→日本国〉、毛沢東中華民国中華人民共和国〉、ヴォー・グエン・ザップフランス領インドシナ→ヴェトナム社会主義人民共和国〉。とはいえ、吉田茂は有名な〈反共〉政治家でしたので、ひょっとしたら、毛嫌いしていた共産主義者たちと一緒に並べられるのは不本意かもしれません。

 

ところで、毛沢東ヴォー・グエン・ザップの著書を並べた事には、もう一つ意図があります。というのは、冷戦体制が崩壊した後、多くの社会主義国は体制の崩壊を余儀なくされたのですが、中国とベトナムは、依然として社会主義の看板をおろすことなく存続しているわけです。それでいて経済的には資本主義を導入し、中国などは今や世界第2位(名目GDPドル建て、2013年)の堂々たる経済大国です。

 

とはいえ、現在の中国やベトナムを理解する上で、毛沢東思想や、ヴォー・グエン・ザップの戦術論が、どのくらい役立つか疑問を持たれる方もいるでしょう。しかしながら、かつては「民族独立闘争」という名で呼ばれた「国家以外の勢力による現状変更を目指す武力行使」は続いていますし、毛沢東思想を信奉する武装勢力は少なくない(たとえば、2万人と言われる「人民解放軍」を擁して武力闘争を続けていたネパール共産党統一毛沢東主義派は、2011年に議会で合法的に政権の座に就いています)。

 

毛沢東が訴えた「革命は、客を招いてごちそうすることでもなければ、文章をものすることでもなく、絵をかいたり、刺繍をしたりすることでもない。そんな風雅なものではありえないのである。革命は、暴動であり、一つの階級が他の階級を打倒する激烈な行動である」という言葉は(多少文言を入れ替えれば)、21世紀の今日でも少なからぬ人々の行動原理として生きていると思います。

 

 

 

抗日遊撃戦争論 (中公文庫)

抗日遊撃戦争論 (中公文庫)

 

  

   

 

吉田茂とその時代(上) (中公文庫)

吉田茂とその時代(上) (中公文庫)

 

 

 

 

映像のなかの吉田茂

編集者Fです。

 

10月25日刊のジョン・ダワー著『吉田茂とその時代』(上下)を皮切りに、中公文庫プレミアムでは、来年にかけて「吉田茂シリーズ」(公式名称ではありません)が始まります。11月から来年1月にかけて毎月、吉田茂池田勇人佐藤栄作ら「吉田学校の弟子たち」に語った回想録『回想十年』(上中下)が、そして来年春には、吉田が引退後に綴ったエッセイや政治評論をまとめた『大磯随想・世界と日本』を刊行予定。

 

 

吉田茂とその時代(上) (中公文庫)

吉田茂とその時代(上) (中公文庫)

 

  解説は、『吉田茂とその時代』と同じく、学習院大学井上寿一学長にお願いしております。近代史の権威であり、精力的に著書を発表されている井上先生の解説は、「シリーズ」を通して読んでいただければ、それだけで吉田茂にまつわる名評論となるのではないかと、期待しております。

吉田茂と昭和史 (講談社現代新書)

吉田茂と昭和史 (講談社現代新書)

 

 

    

ところで、吉田茂といえば、太平洋戦争後、焼け野原となった日本において長期政権を担った政治家として知られているわけですが、一方で、ぶら下がり質問の新聞記者に水をぶっかけたり、野党議員の質問に対して「馬鹿野郎」と言い返してついに議会解散に追い込まれたり(「バカヤロー解散」)、エピソードの多い人物でした。保守的な「ワンマン」宰相という評価の一方で、信念をもってGHQとわたりあい戦後日本の基礎を作り上げた偉人という、二つのイメージで語られることが多いのではないでしょうか。

 

こうした吉田茂の両面を描いた映画が、『小説・吉田学校』(1983年、森谷司郎監督)でした。吉田を演じるのは森繁久彌(当時、70歳)。癇癪持ちで、不機嫌になると子供のように我が侭になるけれども、戦後日本の平和主義にはかたくなな信念を持ち再軍備に最後まで抵抗した(このあたり、議論の余地はありそうですが)宰相を、森繁久彌がホームドラマでたびたび演じた「愛すべき頑固オヤジ」な味わいをにじませつつ演じています。

共演も、芦田伸介鳩山一郎)、梅宮辰男(河野一郎)、西郷輝彦田中角栄)、仲谷昇岸信介)、小沢栄太郎(松野鶴平)、勝野洋中曽根康弘)、橋爪功福田赳夫)、角野卓造宮沢喜一)といった名優たちが、当時の名だたる政治家を演じています(ちなみにここで挙げた政治家は、現役国会議員の祖先)。

 


映画「小説吉田学校」 予告編 - YouTube

 

他に吉田茂が登場する映像作品と言いますと、ジェームズ三木さんが、新憲法制定のプロセスを歴史に忠実に再現したドラマ『憲法はまだか』(1996年放映、NHK)があります。主人公は津川雅彦演じる松本烝治(憲法制定担当大臣、松本委員会を主宰し憲法試案を作成)で、別の形で帝国憲法改正に名乗りをあげた近衛文麿江守徹)との確執がドラマの主軸でしたが、当然、日本政府側として吉田茂も登場します。演じるは鈴木瑞穂。(↓は、吉田茂外相、松本烝治らがGHQのホイットニー民政局長から、新憲法のGHQ草案を提示される場面)

 


場面1 21.2.13 GHQ起草は発布勅語及73条違反 (6-2) - YouTube

 

 

さらに数年前の「白州次郎ブーム」の影響か、同じくNHKで吉田茂が登場するドラマが2本作られました。

伊勢谷友介主演の『白州次郎』(2009年放映)では、吉田茂役は原田芳雄でした。

 


白洲次郎 番宣.mp4 - YouTube

*ちなみに、白州次郎といえば、「マッカーサーを一喝した男」として知られており、このドラマにはそういう場面があったのだそうです。NHKが放送前に流した番宣では、主演の伊勢谷友介が、この場面に違和感を覚え、急遽脚本が修正されたエピソードが紹介されていました。伊勢谷の直感は正しかったかもしれません。白州次郎自身、このエピソードを否定しているのですから。

 

そして2012年には、いまやハリウッドスター渡辺謙吉田茂に扮して主演した『負けて、勝つ 戦後を創った男・吉田茂』(2012年)が放映されました。

 

 

 

このように並べてみますと、これらの作品で描かれた吉田茂は、むしろその時代時代の作り手たちが、吉田茂にどのような思いをこめたかが分かるのではないでしょうか。映像を入り口に、多くの人が戦後史への興味を持ち、その興味を深める助けとして、中公文庫プレミアムでも今後、吉田茂をはじめ、貴重な歴史の証言を世に送り出していきたいと考えております。

 

そういう意味で、個人的に推薦したいのが、NHKが1977~78年にかけて放映した『NHK特集 日本の戦後』(10回シリーズ)です。数年前、CSで全作放映されましたが、終戦の決定、財閥解体、新憲法制定、東京裁判サンフランシスコ講和条約等、戦後の主要なエピソードがドラマ仕立てで再現され、さらに近現代史の専門家の解説も付されています。戦後史の教科書であると同時に、ドラマとしても、なかなかの力作。吉田茂は、全シリーズ通して松村達雄(@『男はつらいよ』2代目おいちゃん役)が演じています。

 

NHK特集 日本の戦後 DVD-BOX

NHK特集 日本の戦後 DVD-BOX

 

 

(以上、敬称略)

(以下、中央公論新社では、↓のような吉田茂関連本も出ています) 

 

日本を決定した百年―附・思出す侭 (中公文庫)

日本を決定した百年―附・思出す侭 (中公文庫)

 

 

  

宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))

宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))

 

  

吉田茂という逆説 (中公文庫)

吉田茂という逆説 (中公文庫)

 

 

 

斎藤隆夫『回顧七十年』について『毎日新聞』に荒川洋治さんが書評を寄せていただきました。

編集者Fです。

10月26日付『毎日新聞』に、荒川洋治さんが、斎藤隆夫『回顧七十年』について、素晴らしい書評を書いていただきました。

 

文庫本としては異例のスペースで詳細に評していただいておりますが、なかでも「斎藤隆夫の演説は論理的であるだけではなく、いちばん大切なことを誰よりも早くことばにするところにいのちがある」「このような理性と危害はそのあと、どの世界でも失われたものだと思われる」「議会政治の力を思い知った」などの一節一節に、編集者として「わが意を得たり」の気持ちでした。ほんとうに有り難く存じます。

 

↓ウェブ上でも読むことができますが、会員登録(無料)が必要です。

今週の本棚:荒川洋治・評 『回顧七十年』=斎藤隆夫・著 - 毎日新聞

 

 

回顧七十年 (中公文庫)

回顧七十年 (中公文庫)

 

 

 

『新幹線開発物語』の書評が掲載されました。

サンデー毎日』2014年11月2日号の書評欄「SUNDAY LIBRARY」の「今週のイチオシ」で、書評家・古本ライターの岡崎武志さんが、『新幹線開発物語』(角本良平・著)を書評してくださいました。

「タイトルそのままの内容。……各種図表も多数収め、新幹線を知るにはこの一冊」とズバリ指摘。

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御年94歳、『新幹線開発物語』の著者・角本良平氏にきく。

中公文庫プレミアム新刊『新幹線開発物語』の著者、角本良平氏。旧運輸省で都市交通課長、国鉄新幹線総局営業部長などを歴任し、東海道新幹線建設計画には着工前の1958年から参加。本書の元本は、当時、中央公論社の編集者だった宮脇俊三氏のすすめによって、開業半年前の1964年4月に中公新書東海道新幹線』として刊行された。幹線調査室調査役として新幹線建設に携わるなかで書かれた本書は、当事者の視点からの貴重なドキュメントである。94歳を迎える角本氏に、市川市の自宅で話しをうかがった。

f:id:chukobunkop:20140924144551j:plain 角本良平氏

 

――東海道新幹線開業50周年を迎えての感慨は?

 この50年は、とくに物流の面での変化が大きかった。道路はローマの昔からあり、鉄道は19世紀に誕生して世界に普及した。当時は、道路も鉄道もともに栄えていくと考えられた。しかし、日本では新幹線建設とほぼ同時期に「マイカー」という言葉も生まれた。道路と鉄道の競争関係がどうなるか、いろいろな意見があったが、何が正しかったのか、この50年で証明されたと思う。

 

――道路が鉄道に勝ったという意味か?

 貨物輸送については、アメリカとの比較で考えていた。実際にアメリカに行って、自分には答えがわかったような気がした。アメリカでは300~400キロの距離は全面的にトラック輸送になっていた。鉄道利用は、石灰石とか石炭などの大量輸送にかぎられていた。少量の雑貨の輸送はもっぱらトラックだ。日本でも道路は急速に伸びてゆく。1960年頃には、高速を必要とする生鮮食料品などの輸送は飛行機の時代になるだろうという予測があった。

 

――それは角本さんの予測どおりということか?

 そう。私の見立てはたいへん正しかったと思う。

 

――本書にあるように、当初は新幹線も貨物輸送を想定していた?

 開業当時は、高速道路がまったく発達していなかった。東京から名古屋、大阪まで、トラックを動かすことは考えられなかった。その後、全国に高速道路網が張り巡らされた。結果的に、新幹線は貨物輸送をせずに正解だった。無駄な競争に参入しなくてよかった。

 

――旅客輸送についてはどう見ているか?

 東京―名古屋―大阪間には非常に大きな旅客の移動がある、しかし、山陽や東北ではそれほど大きくはない。高速道路で十分に対応できる程度だ。道路の輸送力に限界があるとすれば東海道だけだ。来年3月に北陸新幹線が開業する。時間では道路より早いかもしれないが、鉄道輸送に値するほどの客がいるかというと、そんなに多くはないだろう。

 

――東海道以外では採算面で厳しいということか?

 北陸新幹線が開通して、金沢出身者の自分としては喜ばしいことだが、新幹線は重荷になる。今後、赤字は国や地方自治体が負担する、つまり納税者負担で新幹線を運用していくという政治の判断が必要になるだろう。鉄道の自立経営としての見通しは明るくない。それでも、日本の場合、新幹線の通っているところは人口集積があるので利用効率がよい。数百キロまでは飛行機よりレールのほう便利だし利用者も多いから、ヨーロッパやアメリカより恵まれている。

 

――リニア中央新幹線についてはどう見ているか?

 1950年代に東海道新幹線を計画した者としては疑問だ。需要予測と経費の関係が明確ではない。東海道のときは、税金の援助は受けない、国民に迷惑はかけないということで計画した。物価上昇で建設コストは予測を大幅に上回ったが、収支的には自立採算を達成した。将来、我々の子孫の懐にどれだけのお金が残っているか、乗る人がどれだけいるか、ということだ。

 

――交通の未来はどう予想しているか?

 交通の進歩は過去半世紀、我々の予想通りに進んできた。ある程度進歩した段階で、需要の伸びも止まるし、技術の飛躍もなくなると考えていた。残念ながら、当時の予想がいま当てはまることが証明されたように思う。交通については、21世紀を通じて、大きな飛躍はあり得ないという段階にきている。あえて「夢」を語るとすれば、人生一度は月へ行こうという時代になるのではないか。

                      (インタビュー・2014年9月12日)

終戦記念日

編集者Fです。

今日は、69回目の終戦記念日とよく言われますが、実際の所、8月15日をそのように呼ぶようになったのが何時なのかはよく分かりません。この日が公式に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と閣議決定されたのは1982年です。

ちなみにこれもよく言われることですが、いわゆる太平洋戦争が正式に終了したのは、東京湾上の米艦ミズーリ号で日本全権が降伏文書に調印した1945年9月2日とされており、欧米ではこの日を「戦勝記念日」とすることが多いそうです(ミズーリ号での降伏文書調印の模様は、7月25日刊中公文庫プレミアムの2冊『マッカーサー大戦回顧録』『占領秘録』に詳しく載っています)。 

  

占領秘録 (中公文庫)

占領秘録 (中公文庫)

 

 

ところで、韓国や北朝鮮も、日本と同様8月15日を終戦記念日(韓国は「光復節」、北朝鮮は「祖国解放記念日」)としておりますが、これはやはり、当時の朝鮮半島が日本の植民地であったので、昭和天皇のいわゆる玉音放送が流れたことで、一般の人々は日本の敗北を知ったという印象が強いのでしょう。

ちなみに、私は二十年ほど前、8月15日を韓国で過ごしたことがあります。当時から反日感情が強いとされていた韓国で、しかも光復節ということでナショナリズムが高揚する時期だからと心配してくれた人もいたのですが、幸い、そういう目にあうことはありませんでした。焼き肉屋で夕食を食べながらガイドブックを見て明日の予定をたてていたら、店のおばちゃんが寄ってきて、懐かしそうにガイドブックの日本語を見つめていたことを思い出します。

 

というわけで、日本では8月15日を中心に終戦記念番組が放映されたり、雑誌や新聞で特集が組まれることが多いのですが、世界的には9月2日が「戦争終結の日」です。戦争について、さらには太平洋戦争での敗北・それに続く占領が今だに国際社会における日本のあり方を規定し続けていることを考えることは大事ではないでしょうか。

中公文庫プレミアムでも、これから来年の終戦70周年に向けて、戦争や「戦後」にまつわる様々な本を復刊させていく予定です。まずは8月25日刊の以下の2冊が、ネット等で予約開始中です。

 

戦線 (中公文庫)

戦線 (中公文庫)

 

  

海軍随筆 (中公文庫)

海軍随筆 (中公文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

占領する側、される側

編集者Fです。

 

7月の中公文庫プレミアムは、『マッカーサー大戦回顧録』と住本利男著『占領秘録』の2冊です。

 

これから8月15日にかけ、日本の出版界メディア界は年に一度の「戦争を振り返る季節」。来年は終戦から70年ということで、いろいろなイベントがあるものと思われます。中公文庫プレミアムでも、戦前日本のあり方や、戦争そのもの、さらには戦後日本の歩みを考えるためのヒントになる本を刊行していこうと現在鋭意作業中ですが、今回の2冊は、いわばその皮切りとなる2冊です。

 

現在の日本の政治や外交のあり方を見ていて痛感するのは、戦争が終わって70年、よきにつけ悪しきにつけ、まだまだ日本は、占領期に確立された国際秩序の枠組みから自由ではないということです。ことに現在良好とは言えない日中関係や日韓関係、さらにはアメリカが加わった東アジア秩序のあり方を見ていると、本当にそう痛感させられることが多い。

 

そこで懸念されることは、国際社会でどうしても避けられない軋轢が生む悪感情です。戦前の日本の排外主義的気分がやがてどんな歴史を導き出したか。それが敗戦という結果を招いたことで、日本社会がどう変わり、日本国の国際社会におけるあり方がどう位置づけられたか、そうした歴史を知らないまま、感情論だけが横行しかねない今の風潮に違和感を覚えずにはいられません。

 

マッカーサー大戦回顧録』は、ご存じ1945年から6年にわたって日本占領の最高責任者であったダグラス・マッカーサー将軍の『回想記』から、日米開戦から占領までの部分を抜き出した書です。

一方の『終戦秘録』は、毎日新聞の政治部記者だった著者が、当時、日本側にあってアメリカの占領政策と関わった人々の証言をもとに綴ったドキュメント。

いわば、占領した側の手記と、占領された側の証言であり、この2冊を合わせ読むことで、日本が占領されていた日々のあり方を立体的・複合的に読み取ることができるわけです。

 

両書とも解説は、占領史の専門家である増田弘先生にお願いしました。この『マッカーサー大戦回顧録』と『占領秘録』だけでなく、占領期の貴重な資料となる様々な書を引用し、両書と比較検討することで、より深く、この時代を知る手がかりとなるはずです。

 

 

マッカーサー大戦回顧録 (中公文庫)

マッカーサー大戦回顧録 (中公文庫)

 

  

占領秘録 (中公文庫)

占領秘録 (中公文庫)

 

 

 なお、以下の弊社刊行物も合わせてお読み頂ければ幸いです。

 

マッカーサー―フィリピン統治から日本占領へ (中公新書)

マッカーサー―フィリピン統治から日本占領へ (中公新書)

 

 

  

國破れて マッカーサー (中公文庫)

國破れて マッカーサー (中公文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関連本がテレビで紹介されます!(コリン・ウィルソン『アウトサイダー』)

編集者Fです。

 

7月4日放送のBSフジ『原宿ブックカフェ』(23:00~23:30)で、コリン・ウィルソン著『アウトサイダー』(中公文庫)が取り上げられることとなりました。国語学者金田一秀穂さんの〈人生を変えた一冊〉です。

番組HPはこちら

 

アウトサイダー(上) (中公文庫)

アウトサイダー(上) (中公文庫)

 

 

アウトサイダー(下) (中公文庫)

アウトサイダー(下) (中公文庫)

 

 

アウトサイダー』といえば、昨年12月に亡くなった鬼才コリン・ウィルソンが1956年に24歳で書き上げた処女作。サルトルカミュドストエフスキーニーチェゴッホといった偉大なるアウトサイダーたちを論じた大作です。かつて集英社文庫に収録されていましたが、2年前、新たに内田樹さんの解説をいただいて、中公文庫で復刊しました。

 

なぜこのブログで紹介したかと言いますと、この『アウトサイダー』にアラビアのロレンスことT・E・ロレンスが取り上げられているからなんです。言うまでもなく5月刊のプレミアム文庫『砂漠の反乱』の著者です。

 

砂漠の反乱 (中公文庫)

砂漠の反乱 (中公文庫)

 

 

ちなみに、当ブログの「『砂漠の反乱』裏話」で取り上げましたように、ロレンスの名を今でも高らしめているのが1962年の映画『アラビアのロレンス』(デビッド・リーン監督)。『アウトサイダー』刊行後6年目ですが、ひょっとしたら関係があるのかもしれません。

両書を読み比べてみることで、謎の多いロレンスのイメージがより深くなるかもしれませんね。

馬込文士村への道

今日は、中公文庫プレミアムで復刊された近藤富枝著『馬込文学地図』を片手に、「馬込桃源郷」と呼ばれた馬込界隈を歩いてみます。

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JR京浜東北線大森駅西口を出ると、駅前に馬込文士村を案内する看板が出迎えています。池上通りの信号を渡ると、天祖神社です。神社の左を回り込むように、坂道を上がっていきます。神社側の石垣には、馬込文士村にちなんだレリーフがはめ込まれています。

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彼ら文士たちが熱中したのが、ダンス、麻雀でした。

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女性作家たちも忘れてはいけません。

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左から、片山広子宇野千代村岡花子吉屋信子佐多稲子です。村岡花子は、NHKの「花子とアン」のイメージとは違って、ずいぶんとおばあちゃんです。

天祖神社を抜けると、暗闇坂(闇坂)にぶつかります。馬込文士たちが往来した道です。坂を上りきったあたりが「木原山」と呼ばれていました。

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だらだらと下ってゆくと、弁天池に至ります。亀が甲羅を干していました。

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弁天池には、厳島神社が祀られていました。

環状7号線(谷中通り)を渡ると、馬込文士村の核心、天神山です。環七沿いには、古い看板建築の建物が残っていました。

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馬込第二小学校の裏手に回ると、見覚えのある階段が……。そう、『馬込文学地図』13ページの写真の階段です。

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「天神山の古い石段」です。だいぶきれいに整備されていました。

天神山を超えると、宇野千代尾崎士郎夫妻が居を構えたあたり。あのバンガローの家があった場所は特定できませんでしたが。スーパーマーケットの脇道に入ったところでしょうか。

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スーパーマーケットの前の道を下っていくと「臼田坂」です。川端康成と秀子夫人が上り下りしていた道です。そして、ここでも、『馬込文学地図』98ページと同じ景色に出くわしました。

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いくらか立て込んでいますが、道路に書かれた標識も当時と変わりません。

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臼田坂を下りきったところに、かつて川端康成の住んだ家がありました。

坂を引き返し上っていくと、万福寺があります。(左写真は山門)

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源平合戦の武将・梶原景時開基の古刹です。宇治川の戦陣争いで知られる名馬「するすみ」の像など、見所があります。境内には馬込文士の一人、室生犀星の句碑がありました。「葱の皮 はがれしままに かぎろひぬ」

今回の馬込文士村探訪はこれで終わりです。馬込銀座を経由して大森駅に戻りました。

時間があれば、徳富蘇峰の旧居「山王草堂」、尾崎士郎が晩年の10年を過ごした「大田区尾崎士郎記念館」、文士村の資料が展示されている「大田区立郷土博物館」なども訪ねてみてはいかがでしょうか。また、日本画が好きな方には、「大田区立龍子記念館」もあります。馬込文士村へは、JR大森駅のほか、都営浅草線馬込駅西馬込駅からも行くことができます。

尾崎士郎について

小説『人生劇場』で知られる作家・尾崎士郎は、大正12年以降、宇野千代とともに東京郊外の荏原郡馬込村に居を定めます。そして、二人の磁場は「馬込文士村」と呼ばれる文士空間を形成していきました。川端康成萩原朔太郎室生犀星梶井基次郎……。その一角には、片山広子村岡花子といった女性作家たちもいます。

今月の中公文庫プレミアムの2冊、

宇野千代『私の文学的回想記』

近藤富枝『馬込文学地図』

には、宇野千代尾崎士郎を取り巻く、多くの作家たちの姿が活写されています。

ここでは、尾崎士郎について、補足的な紹介をしたいと思います。

大正5年、早稲田大学に入学した尾崎士郎は、学業より政治運動を優先する生活でした。大学を二分した「早稲田騒動」は、『人生劇場』にも描かれて、よく知られているところです。

ここでの政治運動とは、社会主義運動です。尾崎は、在学中から社会主義勢力の拠点となっていた、堺利彦率いる「売文社」に入社。政治評論の執筆に従事します。

その尾崎の転機となったのは、大正10年、『時事新報』の懸賞小説に、短篇「獄中より」が2位に入選したことでした。そしてこの時の1位が、宇野千代(当時は藤村千代)の「脂粉の顔」。審査員は久米正雄・里見弴の二人でしたが、得点は、宇野千代155点、尾崎士郎154点。わずか1点差という結果です。

この時、宇野千代は札幌にいて、せっせと小説を書き続ける日々でした。

2年後、二人は結ばれ、名実ともに夫婦になって、馬込の陋屋に居を構える、とは誰も知る由もありませんでした。

それにしても、人の縁とは不思議なものです。

尾崎の故郷、西尾市尾崎士郎記念館の展示図録には、若き日の尾崎の活動が写真入りで紹介されています。

また、宇野千代尾崎士郎が当選した、『時事新報』大正10年1月21日の貴重な紙面も掲載されています。

尾崎士郎記念館企画展「政治青年から文学者への道――社会主義運動と初期の作品」

http://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/9,14915,c,html/14915/20130207-162739.pdf

詳しくは、近藤富枝『馬込文学地図』18ページ以降をご覧ください。

 

東京FM「TIMELINE」で『ケネディ演説集』が取り上げられました!

編集者Fです。

 

6月2日(月)19時~19時54分に放送される東京FMの番組『TIMELINE』の「書考空間」というコーナーで、『ケネディ演説集』が取り上げられました。

 


【書考空間】 ケネディ演説集/高村暢児編 書籍紹介コーナー - YouTube

 

番組ホームページ↓

TIME LINE-今日のニュースと考えるヒント - TOKYO FM 80.0MHz

 

さらに、同番組のホームページで、『ケネディ演説集』を書評戴いています。

【書考空間】ケネディ演説集 改版(中公文庫)/ケネディ(述),高村暢児(編)

 

ありがとうございました! 

 

ケネディ演説集 (中公文庫)

ケネディ演説集 (中公文庫)

 

 

映像の中の「天皇」

編集者Fです。

 

5月刊行の中公文庫プレミアムの1冊『城の中』は、長らく侍従として皇室に仕え、洒脱な名文家としても知られた故・入江相政さんが、天皇をはじめとする皇室の方々の素顔を活写した随筆集です。私は担当ではありませんが、むしろ一読者として感じたところをつらつら書かせていただきます。

 

入江相政さんといえば、昭和十(1935)年に始まり、同六十年に亡くなる前日まで書き続けた浩瀚な日記が刊行されたことがあります。戦前から戦後に至るまでの皇室内部の事情を詳しく記録した貴重な資料である一方、日々のお食事や娯楽などについても明るい筆致で記されていました。皇室ならびに周辺の方々がより人間味を帯びて親しく感じられたものです。

 

城の中 (中公文庫)

城の中 (中公文庫)

 

 

 

ところで、このように元侍従の方が、皇室の内部、とくに素顔の皇族方についてエッセイを書くこと自体、戦後的(戦後昭和的)な現象かもしれません。戦前、皇室の尊厳は厳しく保たれていました。一般国民が天皇の御姿を見る機会は滅多になかったのです。御真影という形で写真が公開されたりしていましたが、なるべく生身のお姿を見せないという方針がとられていたのです。

 

たとえば戦前の天皇陛下巡幸のフィルムでは、ほとんどお姿は映っていません。

昭和天皇【Emperor Hirohito】 - YouTube


日本ニュース第1号 天皇陛下 関西御巡幸 - YouTube

 


『聖上陛下陸士行幸 光栄に勇む新卒業生』 - YouTube

 

そのあたりの事情は、同時代の海外では少し違ったようです。アカデミー作品賞を受賞した映画『英国王のスピーチ』(2010年)は、ドイツとの開戦にあたり、当時の英国王ジョージ六世(エリザベス二世の父君)がラジオで演説するシーンがクライマックスですが、この頃から英国王が、ラジオという最新のメディアを通じて国民に直接語りかけることは、さかんに行われいた様子が描かれています(王族ではありませんが、アメリカのルーズベルト大統領も「炉辺談話」と題するラジオ演説を毎週行っていたことで知られています)。

 


映画『英国王のスピーチ』予告編 - YouTube

 

一方、一般の日本国民が天皇陛下の肉声を初めて聞いたのは、敗戦という未曾有の事態となった昭和20年8月15日の玉音放送でした。その後、昭和天皇が各地を巡幸される様子がニュース映画で公開され、「あ、そう」という独特の言い回しがはやり言葉になるなど、敗戦を境に天皇や皇室の報道のあり方は大きく変わったのです。

 

ただ、フィクション形式の映画やドラマにおいては、事情が違いました。終戦間際、玉音放送の録音盤奪取を試みる一部青年将校の動きを描いたのが岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(1967年)ですが、この映画で昭和天皇を演じたのは、歌舞伎界の重鎮である先代の松本幸四郎さんでした。ただし、肘掛けに乗せた腕や、背中、屏風の向こうにちらっと見える足などが映るだけでした。私は子供の頃、テレビではじめてこの映画を見て、よく分からぬままに「天皇という人は、偉い人なのだなあ」と思った経験があります。

 


2011-0106 - YouTube

 

俳優が皇族を演じることは、その尊厳を損ねることだという考えが日本では根強かったようです。たとえば、無声映画の時代ですが、邪馬台国の女王卑弥呼を主人公とした横光利一原作『日輪』が1925年、衣笠貞之助監督で映画化されたことがありました。ところが完成後、不敬であるというので上映禁止となったのです。残念なことにフィルムは現存していませんが、何はともあれ、当時は卑弥呼ですらダメだったのですね。

 

日本で初めて映像作品に皇族が登場したのは、1957年、低予算のきわもの映画をメインに制作していた新東宝が公開した『明治天皇と日露大戦争』でした。

 

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 鞍馬天狗で知られたチャンバラスターの嵐寛寿郎さんが天皇陛下を演じることが話題となり、空前の大ヒットになったのですが、当時、艶福家で知られた嵐さんはこんな発言をしています。

天皇陛下、これはツブシがききませんな。ワテ大損した。はいな、いやしくも明治大帝。ドロボーや人殺しの役、もうでけしまへん。ヤクザの親分もあかん、助平もご法度ダ」
なまじ天皇陛下を演じてしまったばかりに、役が限定されるし、遊ぶこともままならなかったというわけです。

 

その後、映像作品に天皇陛下が登場することは珍しくなくなりましたが、たいていの場合、歌舞伎や狂言といった伝統芸能の役者さんがキャスティングされているのは、やはり、歴史と伝統のある皇室の方々に扮する役者さんは、同じく伝統と格式あるジャンルの人がふさわしいということなのでしょう。

近年ですと、2008年にTBSが放映したドラマ『シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか  日米開戦と東條英機』で野村萬斎さんが昭和天皇を演じました。ちなみに原案となったのは、中公文庫で刊行中の『陸軍省軍務局と日米開戦』です。

 


 

陸軍省軍務局と日米開戦 (中公文庫)

陸軍省軍務局と日米開戦 (中公文庫)

 

 

1970年公開の映画『激動の昭和史 軍閥』では中村又五郎さん、1980~81年にTBSで放映されたドラマ『天皇の料理番』では中村芝雀さん、1982年公開で物議を醸した映画『大日本帝国』では市村萬次郎さん、昨年公開されたアメリカ映画『終戦のエンペラー』では片岡孝太郎さんと、歌舞伎役者の皆さんが、それぞれ昭和天皇を演じました(他分野の俳優さんですと、1985年にTBSが放映した『そして戦争が終わった』というドラマで加藤剛さんがキャスティングされたくらいでしょうか。当時、加藤剛さんの清潔感が天皇役にぴったりだという制作サイドの発言を読んだ記憶があります)。

 


『終戦のエンペラー』予告編 - YouTube

 

明治天皇も同様で、嵐寛寿郎さんの後、勝海舟を主人公とした映画『大東京誕生 大江戸の鐘』(1958年)で現・松本幸四郎市川染五郎さんが若き日の明治天皇を演じました。最近では、NHKで放映した『坂の上の雲』で、尾上菊之助さんが日露開戦を決断する明治天皇に扮していました。

 

ただし、これらの作品に登場する「天皇陛下」は、威儀を正して公式の場に登場するフォーマルな姿です。くだけた姿の天皇陛下が登場したのは、私が知る限り『二〇三高地』(1980年)で、三船敏郎さん扮する静養中の明治天皇が浴衣姿で伊藤博文の報告を受ける場面くらいでしょうか。

 

 一方、海外では実在王族のプライベートな姿をドラマにすることは珍しくありません。上にあげた『英国王のスピーチ』では、吃音に劣等感を懐くジョージ六世の人間味溢れる姿が描かれています。

また、スキャンダラスなダイアナ元皇太子妃の事故死後、彼女を王族として国葬にするか否かで苦悩するエリザベス二世を主人公にした『クイーン』(2006年)という映画もありました。エリザベス二世と夫君のエディンバラ公が寝室で語り合う場面があるなど、日常生活がかなり事細かに描かれます。何より、王室の尊厳を守るためダイアナ元妃の国葬に反対する英国王室の人々(すべて実在です)があからさまに描かれる一方で、ダイアナ元妃を悼み王室に批判的になった一般民衆の世論を背に、リベラルな政策を推し進めようとする当時のブレア内閣は、王室とは対立的な存在として登場します(後でブレア首相が、王室と世論の板挟みとなり、威厳を保ちつつ妥協する道を探る女王に抱きはじめる姿が感動的に描かれますが)。

 


"The Queen" - trailer - YouTube

 ちなみに、エリザベス二世を演じた名優ヘレン・ミレンは、この作品でアカデミー主演女優賞を受賞するなど国際的な賞賛を浴びました。さらに、エリザベス二世本人からバッキンガム宮殿での晩餐会に招待したのですが、彼女は『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』というニコラス・ケイジ主演の娯楽作の撮影中ということを理由に辞退し、物議を醸しました。

ちなみにミレンさんは、シェイクスピア劇の舞台などで活躍してきた名女優さんですが、一方で、『カリギュラ』(1979年)という、これまた物議を醸したポルノ映画まがいの作品に出演したり、若い頃はコカインをやっていたとカミングアウトするなど、なかなかフリーダムな方のようですね。

 


Caligula Trailer - YouTube

 

そういう意味では異例中の異例な作品が、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督が製作した『太陽』(2005年)でしょうか。この作品の主人公は昭和天皇その人で、扮したのは一人芝居が大人気のイッセー尾形さん。終戦の聖断が降された御前会議から人間宣言に至るまでの昭和天皇を描いた作品ですが、有名な歴史的場面の再現は最小限度に抑えられ、白衣を着けて海中生物を顕微鏡で観察したり、深夜居間で疎開中の皇后陛下を偲んでアルバム写真に接吻したり、東京大空襲の悪夢を見たりと、プライベートな姿がドラマとして描かれたのです。

 


太陽(プレビュー) - YouTube

 

ソクーロフ監督は大変な親日家で、昭和天皇についての文献を読み込んで作品を作り上げたということです。ひょっとしたら入江相政さんのエッセイなども参考にしたかもしれません。イッセー尾形さんも、かなり丁寧な役作りをしていました。一部では日本での公開も危ぶまれると言われていましたが、2006年、二館で公開されかなりの盛況だったそうです。

 なお、同じ時期の昭和天皇を、木戸内大臣をはじめとする当時の関係者の証言で、日常生活も含めて取材した記録が、1967年元旦から読売新聞社で連載が始まった『昭和史の天皇』です。現在は中公文庫で4巻本が刊行されています。

 

昭和史の天皇 1 - 空襲と特攻隊 (中公文庫)

昭和史の天皇 1 - 空襲と特攻隊 (中公文庫)

 

 

(文中敬称略)

 

 

柳宗悦の蒐集について

このたび中公文庫プレミアムの一冊として復刊した、柳宗悦の『蒐集物語』。

「蒐集は私有に生い立つが、進んでそれを公開し、または美術館に納めることは一つの美挙である。それが私有物から共有物に進むからである。個人的意義が社会的意義をも加えるに至るからである」(「蒐集について」より)

こうした柳の思想の具現が、東京駒場日本民藝館です。

本書に登場するすべての蒐集品は、いまも同館に収蔵され、折に触れ展観されています。

柳の見出した「民藝」の美を、直にご覧になってはいかがでしょうか。

 

日本民藝館 http://www.mingeikan.or.jp/

住所: 東京都目黒区駒場4丁目3
電話: 03-3467-4527
最寄り駅: 駒場東大前駅[西口]から徒歩約5分-

『砂漠の反乱』裏話2……ボツ写真ギャラリー

編集者Fです。

 

さて、今回の中公文庫プレミアム版『砂漠の反乱』ですが、田隅恒生先生の書き下ろし解説に加え、4ページの口絵を付け加えました。

そのなかで、田隅先生が所蔵されている『知恵の七柱 Seven Pillars of Wisdom』や『砂漠の反乱 Revolt in the Desert』の原書を紹介しました。

『砂漠の反乱』裏話」でもちらっと触れましたが、ロレンスの自伝である『知恵の七柱』『砂漠の反乱』にはさまざまなバージョンがあり、それぞれがどう関連し合っているかを説明するのはなかなか難しいので、それぞれの原書をビジュアルで示せば、まだしも読者が飲み込みやすいのではないかと考えたからです。

 

撮影は、貴重な原書ですからスタジオに運んで撮影というわけにはいきませんので、四月某日、田隅先生のご自宅で行われました。スペースの関係で、文庫口絵では全部の写真を紹介できなかったので、泣く泣くボツにした写真をブログ上で一部公開します。

 

 

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どれがどの「バージョン」かは、文庫の口絵と見比べると分かります。

 

 

砂漠の反乱 (中公文庫)

砂漠の反乱 (中公文庫)