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中公文庫プレミアム 編集部だより

永遠に読み継がれるべき名著を、新たな装いと詳しい解説つきで! 「中公文庫プレミアム」を中心に様々な情報を発信していきます!

2・26事件から80年(後編)/磯部浅一『獄中手記』

前編に引き続き、今年で80年になる2・26事件に寄せ、中公文庫プレミアムの最新刊『獄中手記』の著者であり、2・26事件の指導的立場にあった磯部浅一について。今回は彼のプライベートな側面をご紹介したいと思います(以下、敬称略)。

 

その前に、例によって趣味の映画うんちくをご容赦ください(後でつながりますので)。

 

これまで2・26事件は何度か映像化されています。恐らく一番古い例は、1954年公開の『叛乱』(新東宝佐分利信監督)。立野信之の小説の映画化で、その後の2・26事件映画の基本フォーマットを作った原点だと思います。

 

2・26事件の「首謀者」は、さまざまな考え方があると思いますが、年齢順でいえば最年長の野中四郎大尉(蹶起当時32歳)。蹶起将校たちが掲げた「蹶起趣意書」は、野中の名前で出されています(本書巻末附録参照)。一方、前々年の陸軍士官学校事件で陸軍を追放され、「粛軍に関する意見書」を執筆した磯部(当時31歳)や村中孝次(当時32歳)の影響力も無視しえないけれど、ある意味、リーダー不在の蹶起だったという言い方も出来なくはなさそうです。さらに、青年将校たちの背後関係(裁判で黒幕とされ処刑された北一輝はどの程度事件に関与していたのか)も曖昧なため、たとえば「忠臣蔵」といえば大石内蔵助、というような明確な主役が分かりづらい事件でもあります。

 

で、恐らく本邦初の2・26事件を映像化した『叛乱』で主役に選ばれたのは、安藤輝三大尉でした。演じたのは当時、知的で繊細な二枚目役を得意とした細川俊夫。安藤大尉といえば、青年将校たちから幾度も蹶起参加を懇願されながら、最後まで参加を躊躇い、しかし、部下の兵士から当時の日本国民の窮情(農村は飢え、娘たちが身売りされれいる)を聞き、やむにやまれぬ思いから蹶起に賛同する、そういうキャラクターとして確立されたのが、この『叛乱』でした。

 


叛乱 香川京子

 

さらに安藤輝三大尉は、襲撃した鈴木貫太郎侍従長(後に終戦内閣の首班)邸で、銃弾を浴びて倒れた鈴木にとどめを刺そうとして、駆け寄った鈴木夫人から「武士の情けです」と懇願され、「歩兵第三連隊・安藤大尉です」と名乗ってとどめを刺さずに去っていくという、絵になるエピソードの持ち主でもあります。

 

一方、この作品で磯部浅一を演じたのは、後に東映の時代劇で、中村錦之助萬屋錦ノ介)や大川橋蔵といった白塗り美男スターを相手に、豪快で頭は切れるけれど腹黒い悪役を得意とした山形勲でした。

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磯部が2・26事件に果たした役割は大きいし、彼が獄中で綴った手記は、その歴史的価値といい、文章の迫力といい、蹶起青年将校が残した文章のなかでもインパクトは十分に大きいのですが(だからこそ今回文庫化したわけですが)、そうした要素は「絵にならない」んです。

ということで、「絵になる主役」は安藤輝三。磯部は、「絵にはならないけれどストーリー展開上、存在感ある脇役に任せるキャラクター」というフォーマットがここに固まったと思います。

 

4年後の1958年、新東宝は『陸軍流血史 重臣と青年将校』(土居通芳監督)を公開、満州事変から2・26事件までの右翼・陸軍テロ(浜口首相暗殺、三月事件、十月事件、5・15事件等)を再現したオムニバスで、クライマックスの2・26事件では、生真面目すぎるほど生真面目な二枚目スターとして役者人生を貫いた感のある宇津井健が安藤を、宇津井健より器用で渋め、善玉から悪役まで幅広い役柄をこなせた御木本伸介が磯部役でした。

 


二・二六事件(新東宝映画『陸軍流血史』より)

 

その後、二枚目大スターだった鶴田浩二が安藤大尉を演じた『銃殺 2・26の叛乱』(1964年、東映、小林恒夫監督)では、磯部役は、やはり頭脳派悪役が似合っていた佐藤慶でした。

 

異色だったのは、1989年公開の大作『226』(松竹富士、五社英雄監督)。この時、磯部役にキャスティングされたのは竹中直人。筆者は、この映画を紹介するテレビ番組で有名映画評論家が「あんな陸軍軍人、いたわけないじゃない!」と叫んだのを見て、それはいくらなんでも竹中さんに失礼だろと感じたのを覚えています。私はゴーリキーの舞台劇「どん底」で「役者」役を演じる竹中さんの正統派演技を見ていたので、納得のキャスティングだったのです。ただ、世間ではまだまだ、「笑いながら怒る人」「終電で酔っぱらって松本清張芥川龍之介の顔芸をする人」のイメージが強過ぎたのでしょう。


笑いながら怒る人

 

とはいえ、実際に映画を見ると、竹中さん扮する磯部の扱いには疑問を抱きました。というのは、磯部以外の青年将校達(三浦友和の安藤大尉をはじめ、萩原健一本木雅弘勝野洋、加藤昌也といった二枚目たち)にはそれぞれ、愛妻(これまた南果歩、安田成美、藤谷美和子賀来千香子、有森也美と豪華顔ぶれ)とのエピソードが細やかに描かれているのに、なぜか主謀者の磯部だけ、奥さんとの場面がないのです。

 

きわめつけはエンディングで、銃殺刑執行の銃声が響いた後、青年将校たちがそれぞれの愛妻とのツーショット回想場面が劇的な音楽とともに流れるなか、なぜか磯部だけは独りきりなんです。「青年将校のリーダーなのに、二枚目じゃないと差別されるのかな」とか、はては「実際の磯部浅一も(ご面相に問題があって)独身だったから、あのキャスティングだったのかな」などと無知かつ無礼な感想を抱いたものでした。


『226』 予告編

 

もちろん、それは私の思い過ごしで、実際の磯部には愛する女性がいました。正式に戸籍に入っていない「内縁」関係だったため、映画ではあえて画面に出さなかったのかと思われます。

 

今回の『獄中手記』では「附録」として「新公開資料」を掲載しましたが、そのなかに、磯部が蹶起2ヵ月たらず前の1935年12月30日、実家に宛てた書簡があります。これは、磯部の実家(山口県長門市)近くにある「磯部浅一記念館(いそべの杜、中嶋智館長)」が所蔵している貴重な資料です。

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磯部浅一記念館(いそべの杜)の記念碑

 

私は昨年秋、磯部の甥の息子さんにあたる秀隆さんのご紹介で、その書簡を拝見し、掲載許可をいただきました。下の写真は、磯部浅一記念館で見せていただいた折り、撮影したものです。

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詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、「登美子」という女性を、実家の籍に容れてほしいと頼む内容です。

登美子(1914~1941)は旧姓・富永。磯部秀隆さんによりますと、磯部が朝鮮半島大邱(テグ)の連隊に勤務していた時(1930年頃)に知り合った、小料理屋で働く女性だったということです。磯部より9歳年下で当時16~17歳くらいでしょうか。

もともとは九州の士族の生まれだったのですが、父親が商売に失敗して没落し、活路を求めて朝鮮半島に流れていったのですね。彼女が養っている弟もいました。磯部は、この姉弟を引き取り、面倒を見てあげていたのです。

磯部のような将校は当時、軍の上官の子女を嫁に迎え、縁戚関係を作るのが普通だということでした。磯部自身、貧しい家の出でしたが、自身の出世よりも、人としての情を優先したということでしょうか。

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磯部が獄中で書いた手記や書簡が後世に残ったのも、登美子の功績が大きいようです。磯部に頼まれ(一部、看守の協力もあったようですが)命がけで外に持ち出したのです。磯部は「万々一、ばれた時には不明の人が留守中に部屋に入れていたと云って云いのがれるのだよ」と登美子にアドバイスしています(本書128頁)

 

この登美子さんがモデルとなった女性をヒロインに据えた映画が、『動乱』(1980年、東映シナノ企画森谷司郎監督)です。5・15事件から2・26事件へと至る時代を高倉健演じる青年将校・宮城啓介(磯部がモデル)を軸に描いた大作です。


動乱 第1部海峡を渡る愛/第2部雪降り止まず(予告編)

 

この作品には、吉永小百合演じる溝口薫という女性が出てきます。借金をかたに芸妓に売られてしまう女性ですが、その弟である陸軍初年兵(永島敏行)は姉を救おうと兵営から脱走を試み銃殺刑となります。その遺骨を引き渡したのが、初年兵の上官である宮城でした。その後、宮城は上官に逆らって抗日ゲリラが抵抗を続ける朝鮮の地に送られ、その地で芸者をしていた薫と再会、宮城は薫を身請けし、結ばれるという筋書きです。

かなりフィクションが加えられていますが、薫という女性は登美子をモデルにしていると、磯部秀隆さんから教わりました。『226』では「不遇な(?)」扱いだった磯部浅一ですが、ちゃんと高倉健吉永小百合の大スター・カップルで、フィクションという形とはいえ物語化されていたわけです。

 

中公文庫プレミアムでは、2・26事件を取り締まる警察の側から詳しく描いた同日発売の安倍源基『昭和動乱の真相』、襲撃された側の証言が掲載されているのが九死に一生を得た岡田啓介岡田啓介回顧録』等も刊行いたしました。他の関連書と合わせてお読みいただけると幸いです。

 

  

獄中手記 (中公文庫)

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昭和動乱の真相 (中公文庫)

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岡田啓介回顧録 (中公文庫)

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私の昭和史(上) - 二・二六事件異聞 (中公文庫)

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妻たちの二・二六事件 (中公文庫)

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叛乱 [DVD]

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銃殺-2.26の叛乱- [VHS]

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あの頃映画 「226」 [DVD]

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重臣と青年将校 陸海軍流血史 JKL-004-KEI [DVD]

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