中公文庫プレミアム 編集部だより

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足立巻一と『詞の八衢(ことばのやちまた)』

3月刊の中公文庫プレミアムは、足立巻一『やちまた』(上下)です。

著者の足立巻一について、司馬遼太郎は、「俗世では仙人のように自己愛を捨て、それを芸術へと昇華していった。その生き方は空海の思想に通じる。かれの大作は、すべて六十代からはじまり、歳をかさねて作品に生命力があふれるようになった。明治以後、例のない文学者であった」と評しています。
この〝大作〟が、62歳のとき上梓された『やちまた』でした。
伊勢の神宮皇學館の学生だったとき、文法学概論の講義で知った「本居春庭」に魅せられ、以後、その生涯と著作の探究にのめり込んでから、じつに40年の歳月が過ぎていました。
その40年とは、2度の召集を受けた戦争を挟む40年でした。
本書は、著者自らの半生を巧みに織り交ぜながら、本居春庭の生涯、そして書名の由来となった『詞の八衢』『詞の通路(かよいじ)』という春庭の著作の成立過程を解き明かそうとしています。
上巻巻末に再録した松永伍一氏の書評では、本書が、春庭の伝記であり、足立氏の40年間の伝記であり、『詞の八衢』という本そのものの伝記でもあるとして、「三つの時間がより合わさって一本の綱になった『総合的伝記』である」と述べられています。
自伝であり、春庭の評伝であり、『詞の八衢』の探究書でもあるというのが、本書を「文学」たらしめているゆえんかもしれません。いずれが経糸であり緯糸なのか、いつか渾然一体となり作品を織り成します。それは、文字通り「やちまた」としか評することのできないものです。
鶴見俊輔氏は、1990年刊の単行本新装版(河出書房新社刊)下巻巻末の解説で、「文法を主人公とするこの稀有の小説」と記しています。
登場人物も仮名・実名入り交じっていますし、いわゆるノンフィクションの範疇にはとうてい括れない、不思議な趣を備えている本です。
一方で、足立氏の探求心は、どんな学者やジャーナリストにも引けをとらないものがあります。夏の休暇を利用して、松阪の鈴屋遺蹟保存会に通い詰め、蒸し風呂のような一室に籠もって、ランニングとステテコ姿で春庭の草稿と格闘する著者の姿には鬼気迫るものがあります。春庭の業績を不当に軽んじてきた近代国語学界への懐疑、そして春庭の名誉回復、再評価への意志というものが根底にあったのかもしれません。
じっさい、『詞の八衢』の版本を繙いてみれば、その凄さは一目瞭然です。学校の国文法の授業で教わるのとそっくりの「活用表」が、つぎつぎに現れてきます。これが、200年以上前に、本居春庭という盲目の文法学者の手で編み出されたのでした。

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 (左は、サ行の活用図=四段活用・変格活用・下二段活用。右はハ行の図=四段活用・上一段活用・上二段活用・下二段活用にあたる) 

 

なお、今回の文庫化にあたっては、巻末に、朝日文芸文庫版(1995年刊)では割愛されていた参考文献と春庭年譜を復活し、吉川幸次郎の書評「遠景と近景の文学」を再録。そして、20代のころに本書を読んで道を踏み誤ったという呉智英氏の書き下ろしエッセイ「言葉のやちまたに迷い込む」が収録されています。