中公文庫プレミアム 編集部だより

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復刊の楽しみと苦労……吉田茂『回想十年』

編集者Fです。

 

10月のジョン・ダワー『吉田茂とその時代』(上下)に引き続き、11月刊から「吉田茂シリーズ」(公称にあらず)の第二弾として、『回想十年』(全3巻)の刊行が開始されました。

日米関係史の権威による評伝と、吉田自身が振り返った回想録、両者を併せ読むことで、吉田茂自身や、戦後日本の出発点について、より深く知っていただければと思っております。

 

回想十年(上) (中公文庫)

回想十年(上) (中公文庫)

 

  

吉田茂とその時代(上) (中公文庫)

吉田茂とその時代(上) (中公文庫)

 

  

吉田茂とその時代(下) (中公文庫)

吉田茂とその時代(下) (中公文庫)

 

 

ところで『回想十年』は、もともと全4巻の形で、1957~58年、新潮社から刊行されました。当時は旧字旧仮名遣いでした(文庫版では読者の便宜を考慮し、新字新仮名遣いに直してあります)。その後、98年に全4巻の形で中公文庫から復刊されましたが、今回の文庫プレミアムに収録するにあたり、文庫版ではなく、新潮社版の元本を3巻に再編集するという形を取っています。

と言いますのは、文庫版というのは、必ずしも元本の単行本版そのままでないことが多いのです。著者が生きている場合、著者自身による修正や加筆が加わることが多いのは当然ですが、著者が亡くなった後で文庫化される際に、上述したように旧字旧仮名遣いを新字新仮名遣いに直したり、明らかな誤字誤植と思われるものを修正することもあります。

中公文庫の場合は、巻末でそのあたりの事情を明らかにするようにしておりますが、必ずしも〈改編〉が明らかにされていないケースも少なくありません。たとえば、戦前に活躍した有名な政治家の自伝を、単行本版と文庫版で読み比べたことがありますが、終戦直後に刊行された単行本版は最初から最後まで章分けも小見出しもほどこされないまま続いているのに、文庫版ではなぜか幾つかの章に分類され、読みやすく章題もついている。著者の没年と文庫の刊行年から考えて、著者自身が新たに章分けをしたとは考えられないので、編集者か、著作権継承者かどちらかが〈再編集〉を行ったのでしょうけれど、そのあたりの顛末がどこにも記されていないのです。

中公文庫プレミアムのように、刊行が古い書籍を文庫化する際には、そういう〈文庫化に際しての改編〉が行われているかどうかを、チェックする必要があります。このブログでも紹介しましたが、T・E・ロレンスの『砂漠の反乱』のように、もともとの『知恵の七柱』をはじめ様々なバージョンが存在し、日本語版ではさらに英語版にはないバージョンが〈編集〉されているケースもあります。

 

特に、著作権の概念が希薄だった戦前に刊行された翻訳書には、注意が必要です。たとえば、アメリカの自動車王ヘンリー・フォード(1863~1947)が書いた "The International Jew"(1920年)という本があります。7年後の1927年、日本でも『世界の猶太人網』(包荒子訳、二松堂刊)というタイトルで翻訳出版されました(国会図書館近代デジタルライブラリーで読むことができます)。

世界情勢を裏で操っているのは国際ユダヤ人ネットワークだと主張する典型的なユダヤ陰謀論で、いわばトンデモ本の元祖みたいな本ですが、トンデモないのは、本文中、唐突な形でユダヤ問題と日本との関係が語られはじめるくだりがあるのですが(76ページ以降)、なぜか〈我が日本では〉〈我が日本の識者たち〉と主語が日本人になり、〈我が隣接国たる露国(ソ連)が猶太主権下にあり、米国が半猶太国である以上、猶太民族の研究が必要なることは当然なことである〉とまで書いてある始末。

おそらくこの箇所は、翻訳者である包荒子(陸軍将校でユダヤ研究に携わった安江仙弘のこと)が勝手に挿入したとしか思えないのですが、何の断り書きもありません。

 

他にも、これは翻訳ではありませんが、東北地方の小学校での女教師と生徒の交流を綴った戦前の連作小説が、終戦後、一冊にまとめられて刊行されていますが、それぞれ独立した短編小説を、あたかも一つの長編小説であるかのように再編集したため、途中で登場人物の名前がなんの説明もなく変わったりしていて、混乱させられたこともあります。

 

上のような事情がありますので、異なる幾つかのバージョンがある著作を復刊する際には、できればすべてのバージョンに目を通して比較し、その上で、文庫化にあたってもっとも適切な(その基準は幾つかありますが)テキストを編集することが必要になってくるわけです。テキストを決定する際、著作権継承者と相談したり、専門家のご教示を仰ぐこともあります。古い本をそのまま出せばいいから楽なわけでは決してないのです。

 

というわけで、中公文庫プレミアムを何冊か同時並行的に復刊作業をしていると、デスクが古本の山で占領されることになるのですが、そのなかの楽しみの一つは、先輩編集者たちが、どのような思いでそれぞれの本を編集していったかに思いをめぐらせる事です。

今回の『回想十年』の場合、インターネットで古本屋さんから新潮社版を取り寄せたのですが、送られてきた小包を開いたとき、思わず感嘆のため息が出ました。 歴史画の大家である安田靫彦画伯(1884~1978)の装幀になる函入りの4冊本を並べた景色はまさに壮観で、戦後日本の形成期の内幕を、その牽引役となった大政治家の証言を通じて世に広めようという、編集者の意気込みを感じたものです。

 

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本の内容についても、感嘆させられました。この本は吉田が執筆したものではなく、佐藤栄作池田勇人といったかつての側近たちに対して語った内容を、文章に起こしたものです。さらに編集者による註が施され、また、吉田が語った内容に応じて、関係者の〈回想余話〉が挿入され、巻末には衆議院における演説や〈失言集〉などの付録も充実しています。手間を惜しまぬ編集とはこのこと。誤字誤植の類も、刊行当時の書籍としてはごく僅かでした。こういう本と出合ったときは、こちらも負けていられないと闘志がわくものです。

これからも、先人に負けず「手間を惜しまない本」を世に送り出したいと念じております。