中公文庫プレミアム 編集部だより

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御年94歳、『新幹線開発物語』の著者・角本良平氏にきく。

中公文庫プレミアム新刊『新幹線開発物語』の著者、角本良平氏。旧運輸省で都市交通課長、国鉄新幹線総局営業部長などを歴任し、東海道新幹線建設計画には着工前の1958年から参加。本書の元本は、当時、中央公論社の編集者だった宮脇俊三氏のすすめによって、開業半年前の1964年4月に中公新書東海道新幹線』として刊行された。幹線調査室調査役として新幹線建設に携わるなかで書かれた本書は、当事者の視点からの貴重なドキュメントである。94歳を迎える角本氏に、市川市の自宅で話しをうかがった。

f:id:chukobunkop:20140924144551j:plain 角本良平氏

 

――東海道新幹線開業50周年を迎えての感慨は?

 この50年は、とくに物流の面での変化が大きかった。道路はローマの昔からあり、鉄道は19世紀に誕生して世界に普及した。当時は、道路も鉄道もともに栄えていくと考えられた。しかし、日本では新幹線建設とほぼ同時期に「マイカー」という言葉も生まれた。道路と鉄道の競争関係がどうなるか、いろいろな意見があったが、何が正しかったのか、この50年で証明されたと思う。

 

――道路が鉄道に勝ったという意味か?

 貨物輸送については、アメリカとの比較で考えていた。実際にアメリカに行って、自分には答えがわかったような気がした。アメリカでは300~400キロの距離は全面的にトラック輸送になっていた。鉄道利用は、石灰石とか石炭などの大量輸送にかぎられていた。少量の雑貨の輸送はもっぱらトラックだ。日本でも道路は急速に伸びてゆく。1960年頃には、高速を必要とする生鮮食料品などの輸送は飛行機の時代になるだろうという予測があった。

 

――それは角本さんの予測どおりということか?

 そう。私の見立てはたいへん正しかったと思う。

 

――本書にあるように、当初は新幹線も貨物輸送を想定していた?

 開業当時は、高速道路がまったく発達していなかった。東京から名古屋、大阪まで、トラックを動かすことは考えられなかった。その後、全国に高速道路網が張り巡らされた。結果的に、新幹線は貨物輸送をせずに正解だった。無駄な競争に参入しなくてよかった。

 

――旅客輸送についてはどう見ているか?

 東京―名古屋―大阪間には非常に大きな旅客の移動がある、しかし、山陽や東北ではそれほど大きくはない。高速道路で十分に対応できる程度だ。道路の輸送力に限界があるとすれば東海道だけだ。来年3月に北陸新幹線が開業する。時間では道路より早いかもしれないが、鉄道輸送に値するほどの客がいるかというと、そんなに多くはないだろう。

 

――東海道以外では採算面で厳しいということか?

 北陸新幹線が開通して、金沢出身者の自分としては喜ばしいことだが、新幹線は重荷になる。今後、赤字は国や地方自治体が負担する、つまり納税者負担で新幹線を運用していくという政治の判断が必要になるだろう。鉄道の自立経営としての見通しは明るくない。それでも、日本の場合、新幹線の通っているところは人口集積があるので利用効率がよい。数百キロまでは飛行機よりレールのほう便利だし利用者も多いから、ヨーロッパやアメリカより恵まれている。

 

――リニア中央新幹線についてはどう見ているか?

 1950年代に東海道新幹線を計画した者としては疑問だ。需要予測と経費の関係が明確ではない。東海道のときは、税金の援助は受けない、国民に迷惑はかけないということで計画した。物価上昇で建設コストは予測を大幅に上回ったが、収支的には自立採算を達成した。将来、我々の子孫の懐にどれだけのお金が残っているか、乗る人がどれだけいるか、ということだ。

 

――交通の未来はどう予想しているか?

 交通の進歩は過去半世紀、我々の予想通りに進んできた。ある程度進歩した段階で、需要の伸びも止まるし、技術の飛躍もなくなると考えていた。残念ながら、当時の予想がいま当てはまることが証明されたように思う。交通については、21世紀を通じて、大きな飛躍はあり得ないという段階にきている。あえて「夢」を語るとすれば、人生一度は月へ行こうという時代になるのではないか。

                      (インタビュー・2014年9月12日)