尾崎士郎について
小説『人生劇場』で知られる作家・尾崎士郎は、大正12年以降、宇野千代とともに東京郊外の荏原郡馬込村に居を定めます。そして、二人の磁場は「馬込文士村」と呼ばれる文士空間を形成していきました。川端康成、萩原朔太郎、室生犀星、梶井基次郎……。その一角には、片山広子、村岡花子といった女性作家たちもいます。
今月の中公文庫プレミアムの2冊、
宇野千代『私の文学的回想記』
近藤富枝『馬込文学地図』
には、宇野千代・尾崎士郎を取り巻く、多くの作家たちの姿が活写されています。
ここでは、尾崎士郎について、補足的な紹介をしたいと思います。
大正5年、早稲田大学に入学した尾崎士郎は、学業より政治運動を優先する生活でした。大学を二分した「早稲田騒動」は、『人生劇場』にも描かれて、よく知られているところです。
ここでの政治運動とは、社会主義運動です。尾崎は、在学中から社会主義勢力の拠点となっていた、堺利彦率いる「売文社」に入社。政治評論の執筆に従事します。
その尾崎の転機となったのは、大正10年、『時事新報』の懸賞小説に、短篇「獄中より」が2位に入選したことでした。そしてこの時の1位が、宇野千代(当時は藤村千代)の「脂粉の顔」。審査員は久米正雄・里見弴の二人でしたが、得点は、宇野千代155点、尾崎士郎154点。わずか1点差という結果です。
この時、宇野千代は札幌にいて、せっせと小説を書き続ける日々でした。
2年後、二人は結ばれ、名実ともに夫婦になって、馬込の陋屋に居を構える、とは誰も知る由もありませんでした。
それにしても、人の縁とは不思議なものです。
尾崎の故郷、西尾市の尾崎士郎記念館の展示図録には、若き日の尾崎の活動が写真入りで紹介されています。
また、宇野千代、尾崎士郎が当選した、『時事新報』大正10年1月21日の貴重な紙面も掲載されています。
尾崎士郎記念館企画展「政治青年から文学者への道――社会主義運動と初期の作品」
http://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/9,14915,c,html/14915/20130207-162739.pdf
詳しくは、近藤富枝『馬込文学地図』18ページ以降をご覧ください。