中公文庫プレミアム 編集部だより

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映像の中の「天皇」

編集者Fです。

 

5月刊行の中公文庫プレミアムの1冊『城の中』は、長らく侍従として皇室に仕え、洒脱な名文家としても知られた故・入江相政さんが、天皇をはじめとする皇室の方々の素顔を活写した随筆集です。私は担当ではありませんが、むしろ一読者として感じたところをつらつら書かせていただきます。

 

入江相政さんといえば、昭和十(1935)年に始まり、同六十年に亡くなる前日まで書き続けた浩瀚な日記が刊行されたことがあります。戦前から戦後に至るまでの皇室内部の事情を詳しく記録した貴重な資料である一方、日々のお食事や娯楽などについても明るい筆致で記されていました。皇室ならびに周辺の方々がより人間味を帯びて親しく感じられたものです。

 

城の中 (中公文庫)

城の中 (中公文庫)

 

 

 

ところで、このように元侍従の方が、皇室の内部、とくに素顔の皇族方についてエッセイを書くこと自体、戦後的(戦後昭和的)な現象かもしれません。戦前、皇室の尊厳は厳しく保たれていました。一般国民が天皇の御姿を見る機会は滅多になかったのです。御真影という形で写真が公開されたりしていましたが、なるべく生身のお姿を見せないという方針がとられていたのです。

 

たとえば戦前の天皇陛下巡幸のフィルムでは、ほとんどお姿は映っていません。

昭和天皇【Emperor Hirohito】 - YouTube


日本ニュース第1号 天皇陛下 関西御巡幸 - YouTube

 


『聖上陛下陸士行幸 光栄に勇む新卒業生』 - YouTube

 

そのあたりの事情は、同時代の海外では少し違ったようです。アカデミー作品賞を受賞した映画『英国王のスピーチ』(2010年)は、ドイツとの開戦にあたり、当時の英国王ジョージ六世(エリザベス二世の父君)がラジオで演説するシーンがクライマックスですが、この頃から英国王が、ラジオという最新のメディアを通じて国民に直接語りかけることは、さかんに行われいた様子が描かれています(王族ではありませんが、アメリカのルーズベルト大統領も「炉辺談話」と題するラジオ演説を毎週行っていたことで知られています)。

 


映画『英国王のスピーチ』予告編 - YouTube

 

一方、一般の日本国民が天皇陛下の肉声を初めて聞いたのは、敗戦という未曾有の事態となった昭和20年8月15日の玉音放送でした。その後、昭和天皇が各地を巡幸される様子がニュース映画で公開され、「あ、そう」という独特の言い回しがはやり言葉になるなど、敗戦を境に天皇や皇室の報道のあり方は大きく変わったのです。

 

ただ、フィクション形式の映画やドラマにおいては、事情が違いました。終戦間際、玉音放送の録音盤奪取を試みる一部青年将校の動きを描いたのが岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(1967年)ですが、この映画で昭和天皇を演じたのは、歌舞伎界の重鎮である先代の松本幸四郎さんでした。ただし、肘掛けに乗せた腕や、背中、屏風の向こうにちらっと見える足などが映るだけでした。私は子供の頃、テレビではじめてこの映画を見て、よく分からぬままに「天皇という人は、偉い人なのだなあ」と思った経験があります。

 


2011-0106 - YouTube

 

俳優が皇族を演じることは、その尊厳を損ねることだという考えが日本では根強かったようです。たとえば、無声映画の時代ですが、邪馬台国の女王卑弥呼を主人公とした横光利一原作『日輪』が1925年、衣笠貞之助監督で映画化されたことがありました。ところが完成後、不敬であるというので上映禁止となったのです。残念なことにフィルムは現存していませんが、何はともあれ、当時は卑弥呼ですらダメだったのですね。

 

日本で初めて映像作品に皇族が登場したのは、1957年、低予算のきわもの映画をメインに制作していた新東宝が公開した『明治天皇と日露大戦争』でした。

 

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 鞍馬天狗で知られたチャンバラスターの嵐寛寿郎さんが天皇陛下を演じることが話題となり、空前の大ヒットになったのですが、当時、艶福家で知られた嵐さんはこんな発言をしています。

天皇陛下、これはツブシがききませんな。ワテ大損した。はいな、いやしくも明治大帝。ドロボーや人殺しの役、もうでけしまへん。ヤクザの親分もあかん、助平もご法度ダ」
なまじ天皇陛下を演じてしまったばかりに、役が限定されるし、遊ぶこともままならなかったというわけです。

 

その後、映像作品に天皇陛下が登場することは珍しくなくなりましたが、たいていの場合、歌舞伎や狂言といった伝統芸能の役者さんがキャスティングされているのは、やはり、歴史と伝統のある皇室の方々に扮する役者さんは、同じく伝統と格式あるジャンルの人がふさわしいということなのでしょう。

近年ですと、2008年にTBSが放映したドラマ『シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか  日米開戦と東條英機』で野村萬斎さんが昭和天皇を演じました。ちなみに原案となったのは、中公文庫で刊行中の『陸軍省軍務局と日米開戦』です。

 


 

陸軍省軍務局と日米開戦 (中公文庫)

陸軍省軍務局と日米開戦 (中公文庫)

 

 

1970年公開の映画『激動の昭和史 軍閥』では中村又五郎さん、1980~81年にTBSで放映されたドラマ『天皇の料理番』では中村芝雀さん、1982年公開で物議を醸した映画『大日本帝国』では市村萬次郎さん、昨年公開されたアメリカ映画『終戦のエンペラー』では片岡孝太郎さんと、歌舞伎役者の皆さんが、それぞれ昭和天皇を演じました(他分野の俳優さんですと、1985年にTBSが放映した『そして戦争が終わった』というドラマで加藤剛さんがキャスティングされたくらいでしょうか。当時、加藤剛さんの清潔感が天皇役にぴったりだという制作サイドの発言を読んだ記憶があります)。

 


『終戦のエンペラー』予告編 - YouTube

 

明治天皇も同様で、嵐寛寿郎さんの後、勝海舟を主人公とした映画『大東京誕生 大江戸の鐘』(1958年)で現・松本幸四郎市川染五郎さんが若き日の明治天皇を演じました。最近では、NHKで放映した『坂の上の雲』で、尾上菊之助さんが日露開戦を決断する明治天皇に扮していました。

 

ただし、これらの作品に登場する「天皇陛下」は、威儀を正して公式の場に登場するフォーマルな姿です。くだけた姿の天皇陛下が登場したのは、私が知る限り『二〇三高地』(1980年)で、三船敏郎さん扮する静養中の明治天皇が浴衣姿で伊藤博文の報告を受ける場面くらいでしょうか。

 

 一方、海外では実在王族のプライベートな姿をドラマにすることは珍しくありません。上にあげた『英国王のスピーチ』では、吃音に劣等感を懐くジョージ六世の人間味溢れる姿が描かれています。

また、スキャンダラスなダイアナ元皇太子妃の事故死後、彼女を王族として国葬にするか否かで苦悩するエリザベス二世を主人公にした『クイーン』(2006年)という映画もありました。エリザベス二世と夫君のエディンバラ公が寝室で語り合う場面があるなど、日常生活がかなり事細かに描かれます。何より、王室の尊厳を守るためダイアナ元妃の国葬に反対する英国王室の人々(すべて実在です)があからさまに描かれる一方で、ダイアナ元妃を悼み王室に批判的になった一般民衆の世論を背に、リベラルな政策を推し進めようとする当時のブレア内閣は、王室とは対立的な存在として登場します(後でブレア首相が、王室と世論の板挟みとなり、威厳を保ちつつ妥協する道を探る女王に抱きはじめる姿が感動的に描かれますが)。

 


"The Queen" - trailer - YouTube

 ちなみに、エリザベス二世を演じた名優ヘレン・ミレンは、この作品でアカデミー主演女優賞を受賞するなど国際的な賞賛を浴びました。さらに、エリザベス二世本人からバッキンガム宮殿での晩餐会に招待したのですが、彼女は『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』というニコラス・ケイジ主演の娯楽作の撮影中ということを理由に辞退し、物議を醸しました。

ちなみにミレンさんは、シェイクスピア劇の舞台などで活躍してきた名女優さんですが、一方で、『カリギュラ』(1979年)という、これまた物議を醸したポルノ映画まがいの作品に出演したり、若い頃はコカインをやっていたとカミングアウトするなど、なかなかフリーダムな方のようですね。

 


Caligula Trailer - YouTube

 

そういう意味では異例中の異例な作品が、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督が製作した『太陽』(2005年)でしょうか。この作品の主人公は昭和天皇その人で、扮したのは一人芝居が大人気のイッセー尾形さん。終戦の聖断が降された御前会議から人間宣言に至るまでの昭和天皇を描いた作品ですが、有名な歴史的場面の再現は最小限度に抑えられ、白衣を着けて海中生物を顕微鏡で観察したり、深夜居間で疎開中の皇后陛下を偲んでアルバム写真に接吻したり、東京大空襲の悪夢を見たりと、プライベートな姿がドラマとして描かれたのです。

 


太陽(プレビュー) - YouTube

 

ソクーロフ監督は大変な親日家で、昭和天皇についての文献を読み込んで作品を作り上げたということです。ひょっとしたら入江相政さんのエッセイなども参考にしたかもしれません。イッセー尾形さんも、かなり丁寧な役作りをしていました。一部では日本での公開も危ぶまれると言われていましたが、2006年、二館で公開されかなりの盛況だったそうです。

 なお、同じ時期の昭和天皇を、木戸内大臣をはじめとする当時の関係者の証言で、日常生活も含めて取材した記録が、1967年元旦から読売新聞社で連載が始まった『昭和史の天皇』です。現在は中公文庫で4巻本が刊行されています。

 

昭和史の天皇 1 - 空襲と特攻隊 (中公文庫)

昭和史の天皇 1 - 空襲と特攻隊 (中公文庫)

 

 

(文中敬称略)